デイリーディボーション 1月5日(金)

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デイリーディボーション 1月5日(金)

2018年1月5日(金)

【通読】
ローマ人への手紙 2:17-24
17もし、あなたが自分をユダヤ人ととなえ、律法を持つことに安んじ、神を誇り、18みこころを知り、なすべきことが何であるかを律法に教えられてわきまえ、19,20
また、知識と真理の具体的な形として律法を持っているため、盲人の案内人、やみの中にいる者の光、愚かな者の導き手、幼子の教師だと自任しているのなら、21どうして、人を教えながら、自分自身を教えないのですか。盗むなと説きながら、自分は盗むのですか。22姦淫するなと言いながら、自分は姦淫するのですか。偶像を忌みきらいながら、自分は神殿の物をかすめるのですか。23律法を誇りとしているあなたが、どうして律法に違反して、神を侮るのですか。24これは、「神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされている」と書いてあるとおりです。

【ポイント】
①問題の本質を間違えない
2章は「すべて他人をさばく人よ」と始まっています。この「他人をさばく人」とは今日の箇所から、「律法主義的なユダヤ人」、または自分が模範的なユダヤ人であると自負している「ユダヤ人教師」であることが分かります。

それでは、彼らの問題は何だったのでしょうか。それは、「自分が教えていること」と「自分が実際に行っていること」が一致していなかったことでしょうか。確かにそうなのですが、問題の本質は別の所にあります。というのも、例えば、ガラテヤ人への手紙2章16節にこのようにあるからです。「しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。」

つまり、パウロが非難しているユダヤ人、ユダヤ人教師たちの問題は、彼らの行いが不完全であったことではなく、自分の不完全さを認めようとしない「不正直さ」、自分が完全であるかのようなふりをする「偽善」にあるのです。

②自分の不完全を受け入れ続ける
私たちも注意が必要です。私たちは、信仰歴が長くなると、信仰深いふりをしたくなるという誘惑が働くことを知らなくてはなりません。この誘惑に負けると、私たちクリスチャンも自分を格好悪いクリスチャンに見えないように、ユダヤ人教師たちのように「不正直」「偽善」に陥る可能性があるのです。

エペソ人への手紙 2章8節
「8あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。9行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」

ライフチャーチ
大谷信道


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