デイリーディボーション 12月28日(木)

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デイリーディボーション 12月28日(木)

2017年12月28日(木)

【通読】
ローマ人への手紙 1:16-17
18というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。19それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。20神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。21それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。22彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、23不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。

【ポイント】
①神様の存在、御心は誰にも明らか
20節を見てみましょう。「20神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」パウロは、動物、植物、その他の自然を見ても、それが神様の被造物であることが分かり、それらの被造物を詳しく見れば、創造者の性質、意図を誰でも知ることができると教えています。そして、その事実は、「神様のことなど知らなかった」という言い訳は通用しないことを意味しているのです。

②不信仰は「無知」ではなく「無視」
パウロは、自分の心を正直に見つめれば、たとえ死ぬほどの努力を重ねたとしても自分の罪の性質を克服するなどできないことできないし、自然を正直に見つめれば、神様の存在も意図も明らかであると主張しています。本当にそのとおりだと思います。

私たち人間の問題は、自分の罪深さを何となく知りながら、それを無視していることではないでしょうか。私は、誰でも自分の罪深さ、汚れ、自己中心、ずるさに真剣に向き合えば、私たちは「自分は救いようのない者だ」「私には救いが必要だ」という結論に達するはずだと信じています。問題は、自分の現実の姿を無視していることなのではないでしょうか。

被造物についても同じことが言えます。自然、生命の不思議さに真剣に向き合えば、それらが偶然の産物などでは絶対にないことに気がつくでしょう。科学、医学などが進歩すればするほど、被造物に「神秘」、つまり神様の業を見出すはずなのです。そうならない理由は、人間が身の回りの自然、生物にも真剣に向き合っていない、無視していることです。

ライフチャーチ
大谷信道


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