デイリーディボーション 1月10日(水)

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デイリーディボーション 1月10日(水)

2018年1月10日(水)

【通読】
ローマ人への手紙 3:9-18
9では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。10それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。11悟りのある人はいない。神を求める人はいない。12すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」13「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」14「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」15「彼らの足は血を流すのに速く、16彼らの道には破壊と悲惨がある。17また、彼らは平和の道を知らない。」18「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」

【ポイント】
①イエス・キリストの福音は「理屈」ではない
パウロは1章16-17節でこのように告白していました。「16私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。17なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」
つまり、ユダヤ人もそれ以外のすべての人々も、イエス・キリストを救い主と信じる「信仰」、御子を惜しまずに与えてくださった天の父を愛する「信仰」によって救われるということです。

この「信仰による救い(義)」について、批判をする者が沢山いました。昨日の箇所からも、パウロが伝える福音についての批判が記されていました。しかし、イエス・キリストが救い主であるかどうかを議論する前に、信仰による救いの正否について議論する前に、私たちが答えなければならない質問があります。それは「あなたは神様の前で正しい者に成り得るのか?」という質問です。

パウロはこの質問に対して明確に答えています。「10…義人はいない。ひとりもいない。11悟りのある人はいない。神を求める人はいない。12すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」ここがすべての出発点なのです。一昨日も学びましたが、もし私たちが真剣に自分自身と向き合えば、必ず誰でもが自分の罪深さ、不完全さに絶望するはずなのです。絶望しない人は、真剣に向き合っていない人が、自分をごまかして生きている人です。例えて言えば、医者から見れば癌の末期状態なのに、本人は「ちょっと休養を取れば元気になると思います。」と言っているようなものなのです。癌が必ず治る特効薬が開発されたとしても、患者本人が自分の病の状況を受け入れ、自分の努力や工夫では決して治ることがないことを認め、治療を求めない限り癌の治癒は起きないのと同じで、自分の罪深さの現実を知り、霊的に瀕死の状態であることを認め、救いを求めない限り、人が救われることはないのです。自分の罪深さについて楽観的、楽天的であれば、一時的に楽しく生きることはできるでしょう。しかし、自分の罪の現実から逃げることはできないのです。

自分が救いようのない罪深い者であることに一度気がつけば、イエス・キリストの福音が人間の考えだした理屈ではなく、真実なものであることにも気がつくことでしょう。

ライフチャーチ
大谷信道


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