デイリーディボーション 1月12日(水)

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デイリーディボーション 1月12日(水)

2022年1月12日(水)
マタイの福音書 17:4-8 4すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」5彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」と言う声がした。6弟子たちは、この声を聞くと、ひれ伏して非常にこわがった。7すると、イエスが来られて、彼らに手を触れ、「起きなさい。こわがることはない」と言われた。8それで、彼らが目を上げて見ると、だれもいなくて、ただイエスおひとりだけであった。
【ポイント】 ①ペテロ・ヤコブ・ヨハネへの証し ペテロは高い山の上でイエス様とモーセとエリヤが話し合っている光景を見ました。その直後の反応は4節の後半にあるように「私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」というものでした。昨日確認した通り、ペテロは大変強い眠気を覚えていましたから、ペテロが見たと思っている出来事が事実であったか否かは定かではない部分があります。しかし、ここで重要なポイントは、この時点ではペテロがイエス様がモーセとエリヤと同等程度の存在であると理解していたことが分かることです。つまり、イエス様はペテロに大変不思議な光景を見せられたわけですが、それを見たペテロはその出来事の意味を十分理解できなかったことが分かるわけです。
そのためなのか分かりませんが、神様は「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」という声をペテロに聞かせます。これこそが、イエス様がペテロ達に見せ、聞かせたいと思ったメッセージなのだと思います。そして、ペテロ達が本当に理解するべきなのは、彼らが見て、聞くべきなのは、7節にあるように「ただイエスおひとりだけ」だということなのでしょう。このポイントを理解させるために、イエス様はペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを高い山に連れて行かれたのでしょう。
つまり、高い山の上で何が起きたのかとか、それがどのような仕組みで行われたのかと言うことよりも、その出来事を通してイエス様が弟子たちに何を啓示され、何を教えられようとしたのかということが重要なのです。そして、ペテロ達は人間の理解できる言葉として「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」という声を聞いたこそが最重要事項だったのだと思います。この「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」ということばは、3章7節でイエス様がヨハネからバプテスマを受けられたときに天から聞こえたことばでしたね。ここでは、それに「彼の言うことを聞きなさい」ということばが加えられています。イエス様の苦難と死の予告を受け入れることができなかったペテロにとって、イエス様の言うこと聞くことは極めて重要なことだったのです。
ペテロの手紙第二では、ペテロ自身がこの出来事の意味を説明しています。ちょっと長くなりますが、読んでみましょう。
16私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。17キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」18私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で聞いたのです。19また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。20それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。21なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。
ここから、その後ペテロは、モーセやエリヤを見たことではなく、イエス様の威光を見たこと、そして天からの御声を聞いたことが重要であったと理解していることが分かるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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