デイリーディボーション 1月15日(火)

150.60.159.37誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 1月15日(火)

2019年1月15日(火)
コリント人への手紙 第2 11:22-27 22 彼らはヘブル人ですか。私もそうです。彼らはイスラエル人ですか。私もそうです。彼らはアブラハムの子孫ですか。私もそうです。23彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。24ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、25むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。26幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、27労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。
【ポイント】 ①働きの純粋さを見分ける パウロが自分の苦難について説明しているのは、自分の働きの純粋さを証しするためであると思われます。しかし、同時にパウロはコリント教会のメンバーが、本当に主に忠実な働き手とそうでない人々を見分ける力方法を教えているとも思われます。
パウロの説明を見ると、パウロが「使徒」として、その権威を自分の欲望を満たすために用いていないことが明らかです。パウロは「キリストの使徒」と名乗ることによって現世的な利益(金銭、権力)などを得ることは一切なく、むしろ現世的な損(迫害、貧乏、飢餓、危険)ばかりを得ていたことが分かります。さらに、10章10節の「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」という箇所から、パウロは、いかにも大使徒に見えるような口調や態度を一切用いていなかったことも分かります。パウロの歩みを見れば、そこには不純な動機が一切なかったことが明らかなのです。
このように、パウロはあえて自分の苦難について説明することによって、コリント教会の人々が不純な動機によって歩んでいる偽使徒、偽預言者をきちんと見分けることができるようになって欲しいと思っていたのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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