デイリーディボーション 1月29日(月)

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デイリーディボーション 1月29日(月)

2018年1月29日(月)

【通読】
ローマ人への手紙 5:12-14
12そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。13というのは、律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。しかし罪は、何かの律法がなければ、認められないものです。14ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々をさえ支配しました。アダムはきたるべき方のひな型です。

【ポイント】
①律法がすべてではない。
イエス様の時代のユダヤ人、特に律法学者やパリサイ人は「律法こそがすべて」という感覚を共有していたのでしょう。パウロもイエス様と出会うまでは熱狂的なパリサイ人でした(使徒22:1-5、ガラテヤ1:13-14、ピリピ3:4-6)。ですから、キリスト教会の中にいる律法を必要以上に強調する人々の論理をよく知っていました。

恐らく、律法を重んじる人たちは「律法がなければ罪もないことになってしまうではないか(人間が好き勝手に生きて良いことになるではないか)!」と、律法の必要性について論じていたのでしょう。しかし、パウロは、律法が与えられる前の時代の人々も死に支配されていた事実から、律法が与えられる前から罪は存在していたと説明しているのです。つまり、律法があろうがなかろうが、アダムの違反により、全人類に罪が入り込み、人々を支配していたということなのです。律法が与えられることによって、人々は自分の罪について気が付かされただけなのです。後で学ぶ7章7節にはこのようにあります。「7それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。」

②「 ひとりの人によって罪が世界に入り 」
パウロの話はちょっと脇道にそれてしまっているのですが、12節以降でパウロが教えたいと思っている内容は「12そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、」「15神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。」ということなのです。

この「ひとりの人による全人類の罪と死」「ひとりのキリストによる義」というポイントについては明日以降に詳しく学びます。

ライフチャーチ
大谷信道


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