デイリーディボーション 1月31日(木)

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デイリーディボーション 1月31日(木)

2019年1月31日(木)
コリント人への手紙 第2 13:8-9 8私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。9私たちは、自分は弱くてもあなたがたが強ければ、喜ぶのです。私たちはあなたがたが完全な者になることを祈っています。
【ポイント】 ①成熟を目指す 9節でパウロは「私たちはあなたがたが完全な者になることを祈っています。」と語っています。このメッセージを間違って受け取ってしまうクリスチャンが多くいるようです。昨日も学びましたが、私たちは行い関して完全になることはできません。たとえ聖霊の働きがあったとしてもです。その証拠は、聖書に記されている使徒たちがそうでなかったからです。もし、私たちが行いにおいて完全になることができたとしたら、イエス様の十字架は意味を失ってしまうことにもなります。
さらに、そもそも「完全」という日本語が当てられているギリシャ語は、日本語の「完全」とは意味が違います。原語の「katartisis」は、「完全」以外に「修復」「修理」という意味を含んだ言葉です。完全である状態ではなく、完全になるために修復されていくというプロセスを意味しているのです。
ピリピ人への手紙3章12節でパウロがこのように告白しています。「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。」じつは、ここで「完全」と訳されている言葉は、9節とは別の単語(teleioo)です。この単語の名詞形がピリピ人への手紙3章15節に使われて「成人である者」と訳されています。つまり、別の「完全」と訳されている単語も、「100%非の打ちどころのない完璧さ」ではなく、「成熟」という意味も含んでいるということなのです。
これらの単語の意味をよく理解していないと、私たちクリスチャンは律法主義に陥ったり、完全でない自分や他者をさばいたりするという、イエス様の時代のパリサイ人のような信仰に陥ってしまう可能性があるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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