デイリーディボーション 10月15日(火)

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デイリーディボーション 10月15日(火)

2019年10月15日(火)
ピリピ人への手紙  3:7-9 7しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。8それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、9キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。
【ポイント】 ①価値観の変革 イエス様の招きのことばはこうです。「24それから、イエスは弟子たちに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。25いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。26人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。27人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。」
多くの人の耳には「自分を捨てなければならない」という命令は「理不尽なもの」、または、「義務」として聞こえることでしょう。しかし、パウロの証しを聞くと、このイエス様の招き(命令)は決して、理不尽でも、義務でもないことが分かるのです。8節の「8それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。」という箇所を読めば、パウロの内に価値観の変革が起こり、自ら、喜びの内に、自分を捨て、自分の十字架を負うことを決めたことが分かるからです。
「価値観の変革」などという大げさな言葉を使いましたが、パウロの内面の変化は誰でもが体験することができる、ごく単純なものであることを知る必要があります。それは、キリストの愛に触れ、キリストの愛を受け取り、キリストを愛するようになったということです。キリストを一番愛するようになったので、その他のものは重要ではなくなってしまったのです。
反対に言えば、パウロのような価値観の変化が起きていないとしたら、私たちは自分とキリストとの愛の関係に問題があるということに気が付くことができるのです。「私は妻を愛しています。しかし、他の女性にも興味があるのです。」という人がいたら、その人の「愛」は真実なものでないことが分かります。同じように、「私はキリストを愛しています。」という確かな気持ちが心の中にあったとしても、キリストを一番にする歩みをしていなければ、その思いは真実なものではないと判断できるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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