デイリーディボーション 10月20日(火)

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デイリーディボーション 10月20日(火)

2020年10月20日(火)
ヤコブの手紙 1:23-25 23みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。24自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。25ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。
【ポイント】 ①どの「みことば」を実践すればよいのでしょうか? その2 先週学んだ通り、「みことばの実践」というメッセージを聞いたときに、第一番目に実践に移すべきみことばは『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』(申命記6:5、マタイ22:37)と、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』(レビ19:18、マタイ22:39)の二つであることが、イエス様の「律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(マタイ22:40)という教えから明らかです。
ですから、ヤコブが聞いている教会の問題、みことばの実践が行われていないと感じる問題は、例えばヨハネの手紙第一のことばを借りれば「9光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいるのです。」(1ヨハネ2:9)、「17世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。18子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」(1ヨハネ3:17-18)となるわけです。
クリスチャンを含む多くの人が、特別な宗教的体験、特別な霊的な知識の獲得などの「神秘体験」、または自分の願いの実現などの「ご利益」が信仰の醍醐味がであり、自分を高めることが宗教を信じる目的だと思い込んでいるようです。この信仰(宗教)についての思い込みを捨て、素直にみことばを読まない限り、私たちのクリスチャンとしての信仰は、この世の宗教のそれと大差ないものになってしまうのではないでしょうか。
主の愛を知り、応答として主を愛すること。主の愛を受け、その応答として同じ愛をもって隣人を愛することこそが、キリスト教信仰(みことば)の本質であることを知りましょう。極めてシンプルですね。だからこそ、この一点を絶対に忘れてはならないのです。それが、今日のヤコブのメッセージなのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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