デイリーディボーション 10月3日(木)

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デイリーディボーション 10月3日(木)

2019年10月3日(木)
ピリピ人への手紙 2:9-11 9それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。10それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、11すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
【ポイント】 ①神様の前に立つ準備をする 御子は、最後まで天の父の御心に対して忠実(謙虚)でした。パウロは、イエス様の忠実(謙虚)さゆえに「9神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」と説明しているのです。
私たちも、いずれ神様の前に立ち、聖書にはっきりと記されている神様の御心に対して忠実であったかどうかを問われる時が来るのです(例:マタイ24、25章)。しかし、それは神の国に入れるかどうかの審査ではありません。神様の前での行いによる義を救いの条件にしたら、イエス様以外誰もその試験に合格することはできないからです。
イエス様はご自身を無にして、天の父に忠実であり続けることによって十字架での贖いの業を完成されました。私たちは、その忠実さによって救われたのです。ですから、イエス様を愛する私たちがイエス様の歩みに倣うことは当然のことなのです。つまり、それは自分を無にして、キリストのからだの一致のために全身全霊をもって取り組むことです。
11節の「すべての口が、『イエス・キリストは主である』と告白して」という箇所も重要です。この姿こそ、パウロのイメージしている「キリストにある一致」なのです。パウロは「それぞれの口が」とは言わず、「すべての口」と語っています。神様の望みは、イエス様の贖いによって神の子とされた私たちクリスチャンが、心を一つにして神様をほめたたえることを願っているのです。これこそが、神様の究極の御心なのです。
自分の望みが実現すれば満足。自分が幸せであれば満足。自分が天国に行ければ満足。このような状態は、神様が望まれている姿では絶対にないことを、神様を愛する私たちは知らなくてはならないのです。そのようなクリスチャンがどれほどたくさん集まったとしても「すべての口が、『イエス・キリストは主である』と告白して」とはならないのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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