デイリーディボーション 10月5日(月)

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デイリーディボーション 10月5日(月)

2020年10月5日(月)
へブル人への手紙 13:17-19 17あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。18私たちのために祈ってください。私たちは、正しい良心を持っていると確信しており、何事についても正しく行動しようと願っているからです。19また、もっと祈ってくださるよう特にお願いします。それだけ、私があなたがたのところに早く帰れるようになるからです。
【ポイント】 ①「服従しなさい」と「愛しなさい」のどちらが厳しい命令か? 今日の個所では「服従」という強いことばが使われているので、びっくりする人もいるかもしれませんが、言葉尻を捕らえるような理解をしてはなりません。もとのギリシャ語は違いますが、第一ペテロ3章1節にもこのような箇所があります「同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。」ここで大切なことは、日本語の「服従」という言葉に引きずられることなく、神様が教えようとしている教会の「指導者と信徒」、家庭の「夫と妻」の関係を文脈や聖書全体から考えることです。
それがどのような人間関係、どのような立場の違いがあったとしても、キリストが求められる人と人との関係は「互いに愛し合うこと」(マタイ22:39、ヨハネ13:34など)「互いに赦し合うこと」(エペソ4:32、コロサイ3:12など)なのです。ですから、ここでの「服従」の関係の中で「愛し合うこと」、「赦し合うこと」が実践されていなければ、それは神様が意図している「服従」ではないということなのです。さらに、「この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないように」ということばからも、ヘブル書の著者が思い描いている教会の指導者と信徒の関係は、軍隊にあるような「恐怖」「規律」ではなく、「愛」「喜び」がベースになっていることが明らかです。
それでは17節の命令は、軍隊の中の命令のような厳しさがないものなのかというと決してそうではありません。「互いに愛しあう」「互いに赦し合う」という命令は、キリストからの極めて厳しい命令であることを忘れてはなりません。なぜなら、「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)、「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ4:32)とあるように、これらの命令は、イエス様が十字架で死んでくださったことによって明らかにされた「愛」と「赦し」がベースになっているものだからです。つまり、教会、家庭において、互いに愛し合うことや赦し合うことをいい加減にすることは、イエス様の十字架での死を空しくすることだからです。
私たちは、イエス様の十字架によって罪を赦された罪人であり、依然として罪の性質をもった不完全な人間であることを忘れてはなりません。ですから、信徒が指導者に完璧を求めることも、指導者が信徒に完璧を求めることも、主の前には極めて愚かで、傲慢な行為であることを知らなくてはなりません。このことを十分い理解していれば「服従」という言葉につまずくこともないでしょう。
ガラテヤ人への手紙5章13-15節 13兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。14律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という一語をもって全うされるのです。15もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。
ライフチャーチ 大谷信道


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