デイリーディボーション 10月6日(火)

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デイリーディボーション 10月6日(火)

2020年10月6日(火)
へブル人への手紙 13:29-25 20永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを死者の中から導き出された平和の神が、21イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行ない、あなたがたがみこころを行なうことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。どうか、キリストに栄光が世々限りなくありますように。アーメン。22兄弟たち。このような勧めのことばを受けてください。私はただ手短に書きました。23私たちの兄弟テモテが釈放されたことをお知らせします。もし彼が早く来れば、私は彼といっしょにあなたがたに会えるでしょう。24すべてのあなたがたの指導者たち、また、すべての聖徒たちによろしく言ってください。イタリヤから来た人たちが、あなたがたによろしくと言っています。25恵みが、あなたがたすべてとともにありますように。
【ポイント】 ①手紙の書き手が一番伝えたかったことは? 今日でヘブル人への手紙の学びが終了します。皆さんの心には著者のどのようなメッセージが残っているでしょうか。あなたが誰かに手紙を書くときには、相手に伝えたいこと、理解してほしいことを明確に持っているはずです。そもそも、伝えたいことがあるので手紙を書くわけです。ヘブル書の著者は、読み手に何を伝えたかったのでしょうか。その内容から、現代に生きる私たちは何を学ぶことができたのでしょうか。
実は、聖書の註解書(参考書)、スタディーバイブル、聖書研究のテキストなどを読むと、今述べた「著者は何を一番伝えたかったのか」というポイントが抜け落ちているものが多いことに驚きます。語句の意味、教理的な学び、倫理的な教えなどが丁寧に説明されいるのですが、手紙の著者が特定の「教会」に宛てて手紙を書いているという視点が抜け落ちているのです。
例えば、単身赴任中の父親が、残された家族の中に様々な問題があることを妻(または子ども)から聞き、その問題の解決のために手紙を書いたとします。その問題が、子どもの進路について、母親と子どもの間に意見の違いがあり喧嘩になってしまったとします。父親や手紙の中で、妻と子どもに対して将来についての考え方、適切な学校選び、受験勉強の取り組み方などをアドバイスしたり、建設的な話し合いの方法を提案したりするとします。しかし、あなたがこの父親だったとしたら、一番の伝えたいことは何でしょうか。それは「仲良くしてね」ということではないでしょうか。つまり、自分の不在の間も、家族が愛によって一つとなることを願うわけです。
ここで質問です。あなたが、この手紙を第三者として見たとしたら「このお父さんの進路のアドバイスや、勉強の仕方の知識は本当に役に立つな!」と、そこに書かれている「知識」「情報」に食いつくでしょうか。そうはならないですね。恐らく「お父さんは家族のことを本当に心配しているんだな」「母親と子どもが仲良くなることを願っているんだな」と感じるのではないでしょうか。
聖書の手紙はどうでしょうか。もちろん手紙の著者は、問題になっている神学的、教理的なことについてしっかりと教えるわけですが、先のごく普通の感覚から聖書の手紙を読めば、「手紙の著者は教会のことを本当に心配しているんだな」「教会がキリストの福音と愛によって一致して欲しいと思っているんだな」と言うことが、誰にでも分かるはずなのです。
私は、神学者も牧師も、この普通の感覚を取り戻すことが重要だと考えています。つまり、父親の心配の中心が「家庭の一致」であったように、手紙(福音書も含め)の著者の心配の中心が「教会の一致」であることに気が付くことが大切なのです。これは、強引な読み込みでも、解釈でもなく、私たち人間の誰もが共有できる価値観、感覚に基づく、手紙の理解の仕方なのではないでしょうか。
最終節の「25恵みが、あなたがたすべてとともにありますように。」ということばは、決して形式的なあいさつではないのです。ヘブル書の著者が本当に伝えたかったこと、本当に願っていることが、この1節に集約されているのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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