デイリーディボーション 11月14日(火)

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デイリーディボーション 11月14日(火)

2017年11月14日(火)

【通読】
マタイの福音書 26:6-7
6さて、イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられると、7ひとりの女がたいへん高価な香油の入った石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。

【ポイント】
①「真実の愛」と「口先の愛」の違いを見る
この女性が「マグダラのマリヤ」だとする言い伝えがカトリック教会の中で広がっています。しかし、聖書をきちんと見れば、この女性が誰なのかは特定されていないことがすぐに分かります。マルコの福音書14章3節でもマタイと同様に、イエス様に香油を注いだのは「一人の女」とだけ記されています。ルカの福音書の香油注ぎのエピソードはマタイ、マルコと違い、香油注ぎが行われた場所が「ベタニヤ」とは特定されていません。そして、女性については「一人の罪深い女」と記されています。ヨハネの福音書での香油注ぎはマタイ、マルコと同じく「ベタニヤ」で起きていますが、その女性がラザロ、マルタの姉妹の「マリヤ」であったと書かれています。非常に印象的な出来事なので、この女性が誰であったのかを知りたいと思うのは当然の事かもしれません。

しかし、私たちにとってもっと重要なことは、口先だけでなく心からイエス様を愛し、その愛を実際の行動に移した女性がいたということです。冷めた理性で考える人には、この女性の行動は「馬鹿げたもの」と映ることでしょう。ここに、イエス様に対する「真実の愛」と「口先の愛」の違いを見ることができるのです。

イエス様は「救い主」を発見した者の純粋な反応についてマタイ13章でこのように教えられていましたね。「44天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。45また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。46すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。」この女性にとってはイエス様は「宝」だったのです。イエス様のために自分の大切なもの捧げることは、自分にとっても何よりもの喜びだったのです。この時点では、弟子たちのイエス様に対する愛は、この女性の愛とはずいぶん違うものだったことが分かるのです。

この箇所は、「全財産をイエス様のために捧げるべきである」というような規範を教えているのではありません。私たちに求められていることは、私たちのイエス様に対する愛が、この時点の弟子たちのように「口先の愛」で止まっていることがないのか、この女性のように「真実の愛」を求めているのか自らのイエス様に対する愛について振り返る事です。自分のイエス様に対する愛が打算的になっていないか、見返りばかりを求めるものになっていないか、自分の冷めた理性がイエス様に対する熱い思いにストップをかけていないか考えてみましょう。

ライフチャーチ
大谷信道


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