デイリーディボーション 11月15日(水)

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デイリーディボーション 11月15日(水)

2017年11月15日(水)

【通読】
マタイの福音書 26:8-13
8弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。9この香油なら、高く売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」10するとイエスはこれを知って、彼らに言われた。「なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです。11貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。12この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。13まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

【ポイント】
①イエス様の愛に応答する
同じキリスト教の信者でも、神様から祝福を受けるための「義務」として宗教活動に取り組むというような「不健全な信仰」こ陥ってしまう人が少なからず存在します。その根底には罰を恐れる恐怖や不安があるのです。教会の中には、信者の奉仕に神様が応えるという「奉仕&対価」の仕組みを積極的に教えるところもあるようです。しかし、自分が努力した分だけ祝福がもらえるという競争の原理は勤勉でまじめな人の目には分かりやすく、魅力的なシステムと映ることもあるようです。

しかし、「純粋な信仰」はそのようなものではないことが今日の箇所からも知ることができます。つまり、この女性はイエス様からの祝福、厚遇を期待して極めて高価な香油をささげたのではなく、イエス様からの愛、赦し、恵みの応答として、ただ純粋に自分自身のイエス様に対する愛の表現として香油をささげたのです。彼女の中には「これをしなかったら・・・。」とか「これをすれば・・・。」といような、不純な打算は一切なかったのです。イエス様の求められる信仰は、私たちが信仰のシステムに適応し、優等生的な信者となることではなく、神様の愛に私たちが応えることなのです。

②神様の愛を受けた者は変えられる
ということは、私たちの信仰の歩みに問題があるとすれば、それは私たちの努力、行いが不十分なのではなく、神様の愛の大きさ、深さを十分に理解していないこと、その愛を素直に受け入れてないことにある可能性があります。この女性は、イエス様の愛を理解し、イエス様の愛を素直に受け入れていたのです。そしてその愛が彼女を突き動かしたのです。私たちが、模範とすべきは、彼女の行動ではなく、彼女がキリストの愛を素直に受け入れたこと、キリストの愛に素直に応答したことなのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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