デイリーディボーション 11月26日(火)

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デイリーディボーション 11月26日(火)

2019年11月26日(火)
コロサイ人への手紙  2:11-12 11キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。12あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。
【ポイント】 ①キリストの支配と権威に従う理由 イエス様は天国行の切符や免罪符の販売員でも、永遠のいのちというプレゼントの配達員でもありません。ほとんどのクリスチャンは「そんなこと当たり前でしょ!」というかもしれません。しかし、大変残念なことに、救いというプレゼントもらった後に、プレゼント自体は大切にするけれども、救いを可能にしてくださった張本人であるイエス様を大切にしないクリスチャンは少なくないのです。
そもそも、救いを「プレゼント(賜物)」という感覚があること自体に問題があるかもしれません。救いが「プレゼント・賜物」であるという本当の意味は、救いが、人間の努力や金銭によって手に入れることができるものではなく、神様から無償で与えられるものであるという意味です(エペソ2:8)。ここで重要なポイントは、神様は人々に無償のプレゼントをあげて人を喜ばせたいと思っているのではないということです。神様の御心は、人々が無償のプレゼントによって神様の愛を知り、神様を愛する者と変えられることを望んでいるのです。「プレゼント」はこの目的のための手段であり、目的は愛の関係の回復なのです。救いの本当の喜びは、罪の報酬である永遠の死からの救いだけでなく、その結果である神様との愛の関係にあるのです。そして、私たちとの愛の関係の回復のために、神様がどれほど大きな犠牲を払ってくださったかということ、つまり神様のプレゼントの大きさを知ることによって、私たちは神様(キリスト)の愛の大きさを知ることになるのです。
ですから、私たちに与えられている戒めは一つだけなのです。それは、「37そこで、イエスは彼に言われた。『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』38これがたいせつな第一の戒めです。」(マタイ22章)。この後に語られる第二の戒めは、第一の戒めの隣人に対する適用であって、究極的には第一の戒めの一部であると考えても良いと思います。神を愛すると言いながら、隣人を愛していない人は、実は神を愛していないことになるわけです。
「伝道」もキリストによって明らかにされた神様の愛を伝え、その人が神を愛する者へと変えられるように導くことです。「弟子訓練」も私たちがキリストの愛に応え、キリストに人生を献げ、キリストを愛していく歩みのための訓練です。「礼拝」も私たちの神様に対する愛の表明です。「交わり」は先の第二番目の戒めです。「奉仕」も、キリストのからだを愛し、キリストのからだである教会を愛することです。この5つは私たちの人生の目的であり、この5つの目的によって神様の栄光を帰することが私たちの存在理由なのです。しかし、「神に栄光を帰する」という表現でさえ、一言で簡単に言い換えれば「神(キリスト)を愛する」となるのです。
私たちの信仰生活、教会生活の中に「神を愛すること」と関連性の低いものがたくさん入り込んでしまっていることはないでしょうか?神(キリスト)が私たちのためにいかに大きな犠牲を払ってくださることにより私たちに対する愛を明らかにしてくださったことを忘れ、救われていることが当たり前になるときに、私たちの信仰の中に異端や不必要なものが入り込んでしまうのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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