デイリーディボーション 11月27日(水)

150.60.159.37誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 11月27日(水)

2019年11月27日(水)
コロサイ人への手紙  2:13-15 13あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、14いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。15神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。
【ポイント】 ①愛によって動かされる モーセの律法に本気で取り組んでいる人とキリストの愛に動かされている人の生活は、表面的には大きな違いがないかもしれません。例えば、先日まで学んでいたピリピ人への手紙4章8節には「8最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」と記されています。さらにイエス様はマタイ5章で「7『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。28しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」と教えられ、イエス様の義の基準は、モーセの律法よりもはるかに厳しいものであることが分かります。ですから、モーセの律法に従う者とイエス様の戒めに従って生活する者の生き様には大きな違いはないのです。
しかし、この両者には決定的な違いがあるのです。前者は義務感、罰への恐怖によって動かされているのに対し、後者はキリストへの愛と信仰によって動かされているのです。そして、今日の個所にはイエス様の愛の具体的な形が記されているのです。私たちは、イエス様の十字架によって「私たちを責め立てている債務証書」から自由にされたのです。ヨハネの手紙第14章をみてみましょう。「9神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。10私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」私たちは、このイエス様の愛によって動かされているのです。
教会、会社、学校(部活動)、家庭においても、依然として「恐怖」によって、信徒、社員、生徒、子ども、配偶者を支配している人たちが沢山います。なぜなら、この方法は短期間で成果を上げることができる、一番楽で、効率的な方法だからです。反対に、愛によって人を動かすことは、時間も手間もかかり、様々な忍耐が求められます。しかし、神様は私たち人間との和解のために想像を絶する忍耐と大きな犠牲を払う方法を取られました。なぜなら、神様が願われたのは、恐怖による支配ではなく、愛の関係の回復だったからです。
神様は今日も忍耐強く、一人でも多くの人が神様の愛を知るようになるために働かれています。また、神様は今日も天の父として、神の子とされた私たちを忍耐強く愛によって導き、育てられています。ですから、私たちも、成長が遅く、罪深い自分自身の姿が見えたとしても、自分を裁くことをせず、忍耐強く自分を赦しつつ、少しづつ前に進んでいくのです。私たちの心の底にある「早く楽に成長したい」という肉的な欲望を刺激するような教えに飛びついたり、罰則の恐怖によって私たちを支配しようとするする幼稚な教えに先祖帰りしてはならないのです。
ライフチャーチ 大谷信道


side_worship side_info