デイリーディボーション 2月12日(月)

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デイリーディボーション 2月12日(月)

2018年2月12日(月)

【通読】
ローマ人への手紙 7:7
7それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。

【ポイント】
①律法によって罪を知る
今日の1節によって、律法の意味をはっきりと理解することができます。特に、「律法が、『むさぼってはならない』と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。」という説明は非常に分かりやすいものですね。「むさぼってはならない」という命令は、モーセの十戒の第十戒の要約であると思われます。実際には「あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」(出エジプト20:17)と記されています。

なぜ、パウロはこの戒めを選んだのでしょうか。恐らく、「むさぼり」が必ずしも悪いものだと認識していない人がいるからでしょう。もちろん、第十戒に記されているような、隣人の妻、奴隷、家畜、その他の所有物を欲しがることが「悪いこと」であることは、時代や地域を問わず誰でもが共有している価値観であると思います。なぜなら、自分の所有物を人に取られたら誰でもが不愉快な思いをするからです。しかし、イエス様が第七戒の「姦淫」について、「28『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。28しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」(マタイ5:27-28)と教えられている通り、本来、律法は表面的な行為だけでなく、その行為を行わせる心の内面に潜む欲望についても取り扱っているものであることが分かります。つまり、「むさぼるな」という命令を真摯に受け取る時に、自分の心の中にはあらゆる種類のむさぼり、欲望がひそんでいることに気づくことができるのです。(この点については明日深く学びます。)

②律法によって神様の私たちに対する願い(御心)を知ることができる
律法は「禁止事項」や「一方的な義務」を定めたものではありません。特に十戒を見ると分かりますが、そこには「神様の人間に対する願い」をはっきりと見ることができます。つまり、人間の生き方についての神様の「御心」です。また、神様の御心が何であるかを知る時に、私たちは神様の聖さ、正しさ、純粋さを知ることもできますね。別の言い方をすれば、律法を見る時に、「ああ、神様はこういうことを望まれている方なんだ!」と、神様について深く知ることができるのです。反対に、律法がなければ、私たちは神様についてほとんど知ることができないでしょう。

ライフチャーチ
大谷信道


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