デイリーディボーション 2月13日(火)

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デイリーディボーション 2月13日(火)

2018年2月13日(火)

【通読】
ローマ人への手紙 7:7
8しかし、罪はこの戒めによって機会を捕らえ、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです。9私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。10それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。11それは、戒めによって機会を捕らえた罪が私を欺き、戒めによって私を殺したからです。12ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。

【ポイント】
①罪のリアリティーを体感する
使徒パウロは、あたかも罪が人格を持った存在かのような表現を用いて、人間の罪の性質の深刻さを説明しています。しかし、罪が「私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました」という表現は、罪が勝手に暴走し、私たち人間に無理やり罪を犯させたという意味ではありません。律法の正しさによって心の中が照らし出される時に、自分で罪と知らずに犯していた罪が自分の中に大量に発見されたということなのです。

日本人の中には。自分はまあまあ真面目で、そこそこ倫理観道や徳観が高い人間であると考えている人が沢山います。「自分はどちらかと言うと良い人間である」という思っている人が大半なのではないでしょうか。しかし、皮肉なことに、そのような自己認知をしているひとほど、イエス様の救いが遠ざかってしまう可能性があるのです。その理由は、「中途半端な正しさ」なのです。自分の人間性(罪の性質)についてそこまで問題を感じていないために、自分の心の憶測に潜む自己中などについてメスを入れる必要を感じていないのです。

ところが、律法はその「正しさ(義)」について極めて厳しいものなので、律法に真剣に向き合えば、誰もが自分の罪の深刻さと、そのリアリティーを体感できるはずなのです。

実は、この体験はイエス・キリストを信じた後も続きます。神様の聖さ、正しさ、愛の深さを知れば知るほど、自分の不完全さ、罪深さ、汚れに気づくことになるからです。しかし、この体験は決して辛いだけのものではありません。私たちは自分の罪深さを知れば知るほど、神様の赦しの大きさ、恵みの大きさを実感できるからです。

ということは、はやり「律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。」ということが分かるのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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