デイリーディボーション 2月6日(火)

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デイリーディボーション 2月6日(火)

2018年2月6日(火)

【通読】
ローマ人への手紙 6:15-16
15それではどうなのでしょう。私たちは、律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから罪を犯そう、ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。16あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。

【ポイント】
①罪の抑止力は「律法」ではなく「愛」 その2
「恵みの下にあるのだから罪を犯そう、ということになるのでしょうか」という反対者たちからの攻撃に対して、パウロは「絶対そんなことはありません。」と断言しています。その理由について16節以降に説明を加えていますが、「奴隷」「服従」「従順」などという言葉のせいか、ちょっと分かりにくい印象があるかもしれません。しかし、6章全体をから考えれば、パウロは、御子を与えるほど私を愛してくださっている神様に対して、「私は罪が赦されているのだから、何をしても裁かれることはない。だから、これからは自分の欲望のままに行きていこう!」などといういう考え方になるはずがないだろうと断言していることが分かります。

私たちクリスチャンは、イエス・キリストへの愛と信頼のゆえに、来るべき裁きの座で「無罪」という裁きを受けることが確定しています。しかし、それは私たちの「罪の性質」が取り除かれたわけではありません。私たちは「良い子」になったから、そのご褒美として神様のこどもとして受け入れられたわけではありません。神様は私たちの不完全さ、汚れを知りながら、キリストを救い主と信じ、赦しを求める者に、罪の赦しを与えてくださったのです。

1ヨハネ4章9-10節
9神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。 10私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

私たちの人生における動機づけは、決して「罰への恐れ」ではなく、「愛」にあるのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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