デイリーディボーション 3月11日(水)

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デイリーディボーション 3月11日(水)

2020年3月11日(水)
テモテへの手紙 第一 1:16-17 16しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。17どうか、世々の王、すなわち、滅びることなく、目に見えない唯一の神に、誉れと栄えとが世々限りなくありますように。アーメン。
【ポイント】 ①イエス様の福音に「忠実な者」として生きる その2 6節から10節を読むと、昨日触れた「違った教え」の中には、救いの条件として何らかの「行い」が必要であるというような教えが含まれていたことが推察できます。「罪の赦し」や「救い」にイエス・キリストを信じること(愛すること)以外の条件が付けくわえられることは、福音を根底から覆すことになってしまいます。律法の行ないによって救いを獲得できるのであれば、イエス様の十字架も全くの無意味になってしまいますね。
今日の個所は、昨日の「15『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られ』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」というみことばと合わせ、パウロ自身の証しであり、キリストの福音の宣教でもあるのです。
現代においても「自分はイエス様を信じたけど、バプテスマを受けていないので救われていないかもしれない。」、「わたしはバプテスマを受けたから天国に行けるはず!」などと考えている人が驚くほど多いです。特に、後者が曲者です。前者はイエス様を信じ、愛している人ですから、たとえ本人が不安を覚えていたとしても、救われていることに間違いはありません。しかし、後者の人は、自分の救いについてイエス様との個人的な愛の関係ではなく「バプテスマ」という「行い」に確信を置いているので、自分が救われていないまま人生を終えてしまう可能性があるのです。
今や、「律法の行ないによって救われる」というような間違った福音を教えている教会はないと思いますが、上の例のように、「信仰(キリストとの愛の関係)」以外に救いの条件を加えていることに疑問を持っていないクリスチャンがいるのです。ですから、教会ではすでに信仰告白をしバプテスマを受けている人たちにも、繰り返し福音を語っていくことが重要なのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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