デイリーディボーション 3月9日(月)

150.60.159.37誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 3月9日(月)

2020年3月9日(月)
テモテへの手紙 第一 1:12-13 12私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。13私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。
【ポイント】 ①イエス様の福音に「忠実な者」として生きる 昨日ライフチャーチでは、「ネットのみ」での礼拝&主の晩餐という初めての試みを行いました。しかし、その姿は使徒の働き2章に記されている初代教会の姿に似た、聖書的な姿であった感じています。「46そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、47神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」
私たちの信仰の歩み、教会の歩みに「完成」はありません。しかし、聖書全体に一貫している「忠実な者」の共通点は、自分の不完全さを認めながら、神様の愛、赦し、あわれみの中で、神様の御心を求め続ける姿ではないでしょうか。別の言い方をすれば、自分の不完全な愛を認めながら、神様を愛し続けるという歩みを続けた者が「忠実な者」だということです。さらに、神様を愛する具体的な行動の中には、主にある兄弟姉妹を愛するという行動が含まれていることは昨日の礼拝でも学びましたね。
パウロはイエス様と出会う前は、自分の信仰は完璧に近いものだと確信していたと思われます。イエス様の弟子たちの迫害にも、神様の御心であると信じていたはずです。しかし、イエス様と個人的に出会うことによって、自分の信仰が全く的外れなものであったことに気づき、生き方が変えられたのです。私たちはどうでしょうか。自分の教会も含め、私たちが実際に見ているキリスト教会の姿は、本当に主の福音、主のみことばに忠実でしょうか。もし、私たちも「自分の信仰」が「主の求められている信仰」と異なっていることに気づいたとしたら、考え方を改めたり、生き方を変える必要があるのではないでしょうか。
パウロは「信じていないときに知らないでした」ために「あわれみを受けた」と告白しています。わたしたちはどうでしょうか。私たちの慣れ親しんでいる教会の姿、教会の伝統、信仰の歩みが、聖書に記されているものと違うことを発見したときに、生き方を改める必要があるのです。本当に大切なこととそうでないことを区別し、大切なことを選び取っていくことが求められているのです。なぜなら、イエス様のみことば(新約聖書)を手にしている私たちは、パウロと違って「知らなかった」という状況にはないからです。
ライフチャーチ 大谷信道


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