デイリーディボーション 4月13日(金)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 4月13日(金)

2018年4月13日(金)

【通読】
ローマ人への手紙 12:6-7
6私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。7奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。

【ポイント】
①「キリストのからだ」が重要
家族においは、夫婦、親子が尊敬し合い、支え合うとき、つまり愛が実践されているときに一人ひとりが最上の幸せを感じ取ることができます。家事を任されている者が食事作り、掃除、洗濯などの責任を完璧に行ったとしても、日毎の糧のために仕事をする者が熱心に働いたとしても、学業の機会が与えられている子どもたちが真面目に勉強したとしても、家族のメンバーが互いに愛し合うことに怠惰であったとしたら、その家族には幸せはないと感じるのす。これが私たち人間の家族についての普通の感覚です。

家族同様、教会においても、この「普通の感覚」が大切にされなくてはなりません。なぜなら、イエスが「34あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」と命令されているからです。この命令は「交わり」についてだけの命令ではありません。なぜならその直後に「35もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」と、相互愛は「伝道」にも直接関わる問題であるとイエス様が教えられているからです。

私たちクリスチャンの信仰の中から、「キリストのからだ」(ロマ12:5)、「キリストの群れ」(詩篇23)、「キリストのぶどうの木」(ヨハネ15:1)「キリストの建物」(エペソ2:21)というような、「神の家族としての教会」(エペソ2:19)という視点が抜け落ち、個人的な満たし、充実感、達成感、幸福感などを追い求めてしまう時に、私たちの信仰は利己主義的な不健全なものへと変質してしまうのです。

自分の能力を伸ばし、仕事上で大きな成功を収めたとしても、家庭が祝福してくれるような愛の関係が築かれていなければ、人は本当の喜びを体験することはできません。いくら努力を重ねてきたとしても、それは自己満足で終わってしまうのです。

クリスチャンも、自分の賜物を祈り、大きな賜物が与えられたとしても、それは自己満足のためではなく、教会全体が祝福を受けるための賜物であることを覚えていなければなりません。賜物の大きさにかかわらず、教会全体に愛の実が結ばれていることこそが、本当の意味での信仰の喜びだからです。

「異言」の賜物を誇ったり、自己満足のために「異言」を用いている人に対して、パウロはこのように警告しています。「あなたの感謝は結構ですが、他の人の徳を高めることはできません。」(1コリント14:17)

ライフチャーチ
大谷信道


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