デイリーディボーション 4月3日(火)

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デイリーディボーション 4月3日(火)

2018年4月3日(火)

【通読】
ローマ人への手紙 11:17-18
17もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、18あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。

【ポイント】
①パウロの務めは伝道と和解(その2)
パウロの異邦人とユダヤ人のイメージが語られています。パウロのイメージは、「キリストがオリーブの木」「ユダヤ人が枝」「神様は農夫」そして「異邦人は野生のオリーブの枝」というものです。しかし、ユダヤ人の中にはイエス・キリストの福音、聖書本来のメッセージを受け取らず、神様が求められている純粋な信仰から離れ、ユダヤ教という宗教システムの構築、そこから生まれる利得や利権にしがみつく者が出てしまいました。そのような者は実を結ばない枝として、農夫である神様によって切り取られてしまった状態にあるのです。

そして、農夫である神様はもっと豊かな実を結ぶであろう枝を野生のオリーブから見つけてきて、切り取られた枝の後に「接ぎ木」されたのです。それが異邦人なのです。つまり、ここでのパウロのイメージは、私たち異邦人はアブラハムのような信仰に生きたユダヤ人の信仰を通して、イエス様への信仰へと導かれたということなのです。信仰に生きたユダヤ人を抜きにして私たち異邦人の救いはなかったということです。

ですから、イエス様の木につながるユダヤ人と異邦人は互いに争うことなく、自分を誇ることなく、互いに愛し合い、受け入れ合う努力を続けること神様が望まれているということなのです。「オリーブの木」のたとえは、神様の救いの計画の構図だけでなく、異邦人クリスチャンとユダヤ人クリスチャンの和解、相互愛という神様の御心が表されているのです。

「接ぎ木」は農夫である神様だけができる恵みの御業です。枝が自分で元の野生の木から離れて、栽培されているオリーブにつながることは絶対にできません。しかし、接ぎ木された「後の元の枝」と「野生の枝」が互いに拒否反応を起こさず、しっかりと繋がり続けるためには、両者の絶えざる努力、つまり、愛し合うこと、赦し合うこと、受け入れ合うことが不可欠なのです。なぜならそれが農夫(聖霊)の願いだからです。

ライフチャーチ
大谷信道


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