デイリーディボーション 6月13日(水)

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デイリーディボーション 6月13日(水)

2018年6月13日(水)

コリント人への手紙 第一 2:10-12
10神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。11いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。12ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。

【ポイント】
①「霊」VS「肉」
「聖霊」「御霊」「霊」などということばの意味がよく分からなかったり、違和感を覚える方がいると思います。今日の箇所でも「御霊」「霊」ということばが繰り返し出てきます。ことばの定義を知ることも大切ですが、パウロの思い描いているイメージが想像できると、大体の意味を理解することができると思います。

今日の箇所でパウロは「御霊・神の御霊」と「この世の霊」を相対するものとして語っています。具体的には「御霊」とは、神様または神様のみこころ・働きと関係しているものであり、一方「この世の霊」とは、人間の肉的な欲望、人間の罪に関係しているものであることが分かると思います。

パウロは、自身が「名声」や「人気」を得たいというこの世的な欲望からではなく、神様の御心に従って教えているにすぎないということをコリントのクリスチャンたちに説明したいのです。つまり、コリントの教会の中で起きていた伝道者を英雄化したり、その結果分派が起きている状態は、神様の身心ではなくこの世的な欲望によるものであるということなのです。

パウロは、コリントのクリスチャンが、何が「神様の御霊の働き」で何が「この世の霊(肉)の働き」なのかを明確に区別することができるようになることを願っているのです。実は、神様の働きと肉の働きを明確に区別するという教えはイエス様の重要なメッセージのひとつなのです。

マタイの福音書 7章
15にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。16あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。17同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。18良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。

ですから、私たちもイエス様、そしてパウロのメッセージを受け、「神様の御霊の働き」と「この世の霊の働き」を区別する力を身につけることが求められているのです。しかし、それは決して難しいことではありません。ガラテヤ5章を見てみましょう。

19肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、21ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。22しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、23柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

コリントの教会に見ることができる「争い」「党派心」「分裂」「分派」は、それを行っている人が「神の聖霊」によって歩んでいるのではなく、「肉の行い」によって歩んでいる証拠なのです。

どのように高度な聖書研究が行われていても、どれほど素晴らしい賜物を持っているという人が集まっていたとしても、いかに教会のイベントやミニストリーが活発に行われていたとしても、教会に主にある一致が保たれていなければ、それは神様の働きではなく、肉の働きに陥っているということなのです。

反対に、集まる人たちが、どんなに信仰歴が短くても、聖書の知識が不十分でも、優れた賜物など持っていないと感じていたとしても、教会の規模は活動が小さなものであっても、御霊の実が結んでいるとしたら、神様の聖霊が豊かに働いている証拠なのです。

私たちは、豊かな実が結ぶほうを大切にしようではありませんか!

ライフチャーチ
大谷信道


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