デイリーディボーション 6月23日(土)

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デイリーディボーション 6月23日(土)

2018年6月23日(土)

コリント人への手紙 第一 4:3-5
3しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。4私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。5ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。

【ポイント】
①「人間の判定」の小ささを知る
今日の箇所からも「伝道者」のあり方を知ることができます。パウロは「コリント教会の人々からの判定」「人間による判定」を受けることが「非常に小さなこと」と語っています。これは、決して「傍若無人に振る舞って良い」、「人から評価を無視し我が道を行く」と行っているのではありません。パウロは人からの評価、評判、尊敬、人気、などの「良い判定」を得ることを第一として歩むのではなく、すべてをご存知である神様に対して誠実に、忠実に歩むこと、昨日の箇所で言えば、「キリストのしもべ」「神の奥義の管理者」という神様から与えられた働きに対して忠実に生きていると宣言しているのです。

今日の箇所が「さばき」についての教えだという印象を得る人がいるかも知れませんが、前後の文脈からすると、ここでのパウロのポイントはこれまでと同じく、コリント教会のメンバーが伝道者を人間的な基準から評価し人気投票を行うことの無意味さ、また、そこで働く伝道者が神様から与えられている使命に生きるのではなく、人間的なニーズに応え、人間からの良い判定を得るために行動することの無意味にあるのです。

ですから、教会のメンバー一人ひとりそして、牧師、宣教師、主事、伝道者などあらゆる働き人は、「人間による判定」という人間の罪深さから出てくる罠、誘惑から自由にされて、神様の思い、神様の願い、つまり神様の御心とさばきだけを考えながら歩むこと、つまり「神から各人に対する称賛」だけを求めて歩むことが大切なのです。

続けて、パウロが明らかにしているコリント教会、そしてすべての教会に対する神様の思い、願いが何であるのかをしっかりと学んでいきましょう!

ライフチャーチ
大谷信道


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