デイリーディボーション 6月26日(火)

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デイリーディボーション 6月26日(火)

2018年6月26日(火)

コリント人への手紙 第一 4:6
6さて、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言って来ました。それは、あなたがたが、私たちの例によって、「書かれていることを越えない」ことを学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反対して高慢にならないためです。7いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。8あなたがたは、もう満ち足りています。もう豊かになっています。私たち抜きで、王さまになっています。いっそのこと、あなたがたがほんとうに王さまになっていたらよかったのです。そうすれば、私たちも、あなたがたといっしょに王になれたでしょうに。

【ポイント】
①「高慢さ」への警告

パウロはコリント教会のメンバーの「高慢さ」を厳しく指摘しています。皆さんは、これまでの箇所からコリント教会の人々の「高慢さ」について気がついているでしょうか。伝道者の人気投票、そこから生じる分派などの問題について触れてきましたが、その問題と「高慢さ」が頭の中でつながっているでしょうか。

パウロが問題にしているコリント教会の「高慢さ」は、自分のことは棚に上げ、主のために必死に働いている伝道者についてあれこれ批判をしたり、品定めをしているような評論家的、ご意見番的な態度であると思われます。最近の言い方だと「上から目線」ということになるでしょう。

サッカーのワールドカップでも、オリンピックでも良いですが、毎日苦しい練習を重ね、ケガなどの問題を抱えながら戦っている選手たちに対して、私たち観客は偉そうに評論したり、批判したりするのです。その中の一人でも、批判している選手よりも優れたプレーをできる人がいるでしょうか。いないのです。

もしからすると、スポーツなどは、聴衆が選手を批評することが楽しみの一つであり、そのようなファンに支えられて成り立っているものかもしれません。アスリートは聴衆からの称賛を得ることがモチベーションとなっていることもあるでしょう。

しかし、信仰の歩みはそうではありません。なぜなら、私たちクリスチャンは全員、フィールドに立つ者としてイエス様から招きを受けているからです。教会の中には、安全な場所から選手に対して好き勝手な評論をする「聴衆」「評論家」はいないのです。現代においても、牧師や伝道者のメッセージ、教会の礼拝のスタイルや音楽などに好き嫌いや優劣をつける人はいることでしょう。しかし、私たちは気をつけなければなりません。なぜなら、私たちクリスチャンは全員イエス様からフィールドに招かれている者なので、イエス様から「では他人を批評、批判しているあなた自身は、私のために何をしているのですか?」という問いかけを受けているからです。

インターネット(SNS)が普及する中で、自分のことは棚の上に上げ、安全地帯から他者を偉そうに批評する評論家的な人がさらに増加しているのではないでしょうか。しかし、信仰の歩み、教会の歩みにおいては、そのような「高慢さ」は主にある交わりを破壊する原因となってしまうことを覚えておきましょう。

ライフチャーチ
大谷信道


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