デイリーディボーション 7月21日(火)

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デイリーディボーション 7月21日(火)

2020年7月21日(火)
へブル人への手紙 5:2-3 2彼は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです。3そしてまた、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分のためにも、罪のためのささげ物をしなければなりません。
【ポイント】 ①イエス様が大祭司であることの意味 なぜ、過去(現在)のクリスチャンの中に「天使(マリア、聖人)」などを崇拝(崇敬)したくなるような人がいたのでしょうか。それは、イエス・キリストとの愛の関係に満足できていないからです。または、イエス・キリストとの愛の関係を実際に味わっていないからとも言えるかもしれません。今日の個所や、4章15節の「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」というような箇所を見れば、神様は私たちが神様に愛され、受け入れられていることを知ることができる形で救い主を与えてくださったことが分かります。にもかかわらず、そのような関係を実際に味わうことができていないクリスチャンが少なくないのです。
例えば、「ドリアン」は果物の王様だと言われています。その理由は諸説あるようです。しかし、「ドリアンは果物の王様」という知識だけで、自分の好きな果物の順位付けが変わるでしょうか。また、人によっては強烈な臭さを感じるような果物を、一度食べただけで大好きになるでしょうか。ならないでしょう。恐らく、ドリアンを食べ続け、味わい続けた結果として、ある人たちはドリアンが果物の王様であるという確信を得るようになったのでしょう。
キリストの愛も同じです。ほとんどの人の愛の経験は、親子関係がベースになっています。残念ながら、親子関係が聖書の愛に近いものでない場合は、人は、無条件で受け入れられている、何があっても赦されているという安心感、幸福感の「味」を味わったことがないまま成長してしまう可能性があります。そうすると、いくら聖書で「愛」について聞いても、ドリアンを食べたことが無い人が、その味や香りをどのように説明されても想像できないように、神様に愛され、赦されている平安、喜びを想像することが難しいのです。
ですから、私たちは謙虚になって、自分が知っている「愛」と、イエス・キリストの「愛」は全く別次元のものである可能性があることを認めることが重要なのです。つまり、実は、自分はイエス・キリストの愛を知っているつもり、受けているつもりになっているけれども、実は、神様が与えようをされている愛は、もっと大きく、広く、深いものなのではないかと、自分の思い込みを疑うことが大切なのです。
特に、日々の生活の中で「不安」「恐れ」「孤独感」「いらだち」「原因の分からない欲求不満」などを感じているとしたら、神様の愛について考えなおす絶好の機会だと考えましょう。イエス様のあなたに対する愛、赦し、あわれみ、恵みは、あなたが思っているよりもずっと大きいことに気が付きましょう。神様の愛は、あなたが何か良いことをしたから増えるものでも、悪いことをしたから減るものでもありません。常に、最大限、最高の愛があなたに注がれているのです。
大切なのは、それを味わおうとすることです。例えば、今日の個所を読んだときに、自分自身に「イエス様はあなたの悩みも、苦しみも、悲しみも、喜びもすべて分かってくれているから大丈夫だよ!」と、自分に語りかけてあげることなどが、イエス様の愛を味わう一つの方法ではないでしょうか。ぜひ、取り組んでみましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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