デイリーディボーション 8月29日(水)

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デイリーディボーション 8月29日(水)

2018年8月29日(水)

コリント人への手紙 第一 13:1-3
1たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。2また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。3また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

【ポイント】
①厳密には「愛」の話ではない
聖書の学びの基本中の基本は「文脈」で理解することでしたね。なぜ文脈が大切なのかといえば、それは単純に「書いた人の意図」を大切にできるからです。コリントの手紙を書いたのは使徒パウロですが、それを書かしめたのは聖霊であり神様です。ですから、文脈を無視するということは、神様の御心を無視することになってしまうのです。しかし、悲しいことに、聖書の一部だけを抜き出し、自分の好きなように解釈する人があまりにも多いのです。

1コリントの13章4~7節は「愛の賛歌」との呼ばれ、13章全体も「愛の教え」だと思いこんでいる人が多いことでしょう。しかし、13章でパウロは愛の定義を教えているわけでも、愛の素晴らしさを教えているわけでもありません。そうではなく、キリストの愛が実践された教会の姿を教えているのです。つまり、ここでも「教会を大切にすること」を教えているのです。そして、「教会を大切にすること」の具体的な方法が「愛の実践」なのです。

キリストのからだである教会、その建て上げを「愛の実践」によって行っていくときにはじめて、与えられている「御霊の賜物」が正しい目的のために用いられるのです。反対に、愛の実践によるキリストのからだの建て上げ以外に「御霊の賜物」が用いられたとしても、それは「何の値打ちもない」「何の役にも立たない」行為なのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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