デイリーディボーション 9月8日(火)

150.60.159.37誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 9月8日(火)

2020年9月8日(火)
へブル人への手紙 11:14-16 14彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。15もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。16しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。
【ポイント】 ①旅人、寄留者として生きる 人間は「帰属性」をもった生き物であると言われます。つまり、自分がどこかに属していることを求めたり、それに安心するという性質を持っているということです。そして、自分がどこかに帰属しているという感覚は、周りの人と良い関係が築かれているときに感じるものです。夢にまで見た学校、企業に入ることができ、名簿に自分の名前が載り、自分の部署(クラス)、自分の机が与えられたとしても、自分がその一員として迎えられているという感覚がなければ、帰属意識は生まれてこないでしょう。
言うまでもなく、家庭や教会も同じです。人は家庭よりも社会に帰属しているときのほうが強い帰属意識を持つかもしれませんが、家庭においても自分が受け入れられ、認められ、赦され、愛されているという実感があると、家庭に自分の居場所があると感じることができるのです。教会も、イエス・キリストを信じる信仰(共通の召し(目的)、共通の戒め)によって、大牧者であるキリストのもとに集められた人々の群れです。私たちは、教会も私たちが帰属意識を強く持つことができる場所(集団)なのです。
ただ、ここで注意が必要です。あなたが、自分の職場、学校、家庭、教会に大変強い「帰属意識」をもって満足していたとしても、それは、大変肉的で、この世的な感覚である可能性があるということです。なぜなら、私たちクリスチャンは、キリストを信じた瞬間から、この地上を去るときまで、アブラハムたちのように「旅人」「寄留者」として生きる人生が始まっているからです。イエス・キリストを信じるとは、この地上のいかなるものにも帰属しないという決意をすることであり、イエス様に約束された「天の故郷」を待ち望む者として生きることを決意することだからです。
しかし、「天の故郷(神の国)」に帰属するという決心は、地上において自分の居場所がないという不安から完全に解放される瞬間でもあることを忘れてはなりません。私たちは地上においては、一時的にそこに身を寄せている「旅人」であり「寄留者」であると確信するときに、どこかに帰属しなければならないという不安から解放されるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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