教会「ライフチャーチ」とは

アメリカ人宣教師も集う、明るく、国際的な雰囲気が特徴です。

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ライフチャーチは日本バプテスト連盟「青梅あけぼの教会」の伝道所として2011年10月に始まった新しいプロテスタントのキリスト教会です。
米国南部バプテスト連盟、バプテスト宣教団との協力関係があります。
はじめてキリストに出会う方や、海外生活をされ帰国された方など、どなたでも参加しやすいフレンドリーな礼拝が特徴です。
あなたにお会いできる日を楽しみしています。

教会名 ライフチャーチ
母教会 青梅あけぼのキリスト教会
日曜礼拝会場 東京都三鷹市下連雀3-32-15 CCC学生会2F
牧師 大谷信道
開拓宣教師 Mark Busby
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ライフチャーチは神の栄光ために存在しています。

その具体的な使命は以下の通りです。

Love:人生(Life)をかけ、日々の生活(Life)の中で神と人を愛し続ける。
Intercede:この世が永遠のいのち(Life)を得ることができるためにとりなし続ける。
Fellowship:共にいのち(Life)のパンを分かち合い、交わり続ける。
Equip:いのち(Life)の言葉をもってキリストの弟子を育成し世に送り出し続ける。

Life Church exists to glorify God by

Loving God with all our Life, (Dt. 6:5)
Interceding for the World so that they shall have Eternal Life, (Jn. 3:16)
Fellowship with each other through the Bread of Life, (Jn. 6:51)
Equipping the disciples by preaching the Word of Life. (Matt. 28:18-20, 1Jn.1:1-4)

ライフチャーチ信仰声明

聖書について

私たちは、聖書が人に対して書き記された神の啓示であり、それゆえ、聖霊によって私たちに与えられた聖書6 6巻は、どれも等しく完全なる神のことばであると信じる。(Ⅰコリント2:7-14; Ⅱペテロ1:20-21)。

私たちは、神のことばが客観的、命題的(合理的)啓示であること( Ⅰコリント2:13; Ⅰテサロニケ2:13)、全て神の霊感を受けて書かれたものであること、(Ⅱテモテ3:16)、その原著においては、事実に反する記述は一切無く、その内 容は常に正しい、神の息吹そのものであると信じる。

私たちは聖霊が人間の著者たちを特別に指揮し、個人的特徴や著述スタイルの違いを用いて (マタイ5:18; Ⅱテモテ3:16)神のことばを書き記させたと信じる(Ⅱペテロ1:20, 21)。

私たちは、聖書だけが信仰とその実践に関する絶対的な正しさの基準であると教える(マタイ5:18; ヨハネ10:35, 16:12-13; 17:17; Ⅰコリント2:13; Ⅱテモテ3:15-17; ヘブル4:12; Ⅱペテロ1:20-21)。
私たちは、聖書のどの箇所にも複数の適用を見出すことができるが、正しい解釈(神の真意)は一つしかないことを教える

神について

父なる神
私たちは、三位一体の第一位格である「父なる神」が、ご自身の目的と恵みに基づいてすべてを取り決め、実行していると信じる。(詩篇145:8; Ⅰコリント8:6)。この方は万物の創造主である(創世記1:1−31; エペソ3:9)。唯一の完全かつ全能な全宇宙の支配者として、神は、創造、摂理、そして贖のすべてを御心のままに治めていると信じる。(詩篇 103:19; ローマ11:36)。

神はすべての事柄がご自身の栄光の為に起こるように定められ(エペソ1:11)、す べての被造物およびあらゆる出来事を継続的に支え、導き、そして支配していると信じる(Ⅰ歴代史29:11)。ご自分のところに来るすべての者を罪から救 い、ご自分の子とすることによってその者たちの父となられると信じる(ヨハネ1:12; ローマ8:15; ガラテヤ4:5; ヘブル12:5-9)。

子なる神(イエス・キリスト)

私たちは、三位一体の第二位格であるイエス・キリストが、神と全く同じ性質を持ちながら、父なる神と同格、同質、そして永遠に共存している方であることを信じる(ヨハネ10:30; 14:9)。

私たちは、父なる神がご自身のみこころに基づき、御子イエス・キリストを通して「天と地とその中のすべてのもの」を創造したことを信じる(ヨハネ1:3; コロサイ1:15-17; ヘブル1:2)。
私たちは、受肉(神が人になること)において、三位一体の第二位格である方が、神として持つあらゆる特権を行使する権利を横に置き、人間としての全ての性 質を持ち、しかし、神としての属性を捨てることのないまま、仕える者としての姿を取られたこと信じる(ピリピ2:5-8)。

私たちは、主イエス・キリストが処女から生まれたこと(イザヤ7:14; マタイ1:23, 25; ルカ1:26-35)、受肉において、永遠に存在される三位一体の第二位格である方は、人間に付随するあらゆる基本的性質を受肉において受け入れ、「神で ある人」となられたと信じる(ピリピ2:5-8; コロサイ2:9)。私たちは、イエス・キリストが区分することのできない統一性をもって、人間性と神性を表していること信じる(ミカ5:2; ヨハネ5:23; 14:9-10; コロサイ2:9)。さらに、受肉の目的は、神の完全な啓示、人類の贖い、神の御国を統治の為であることを信じる(詩篇2:7-9; イザヤ9:6; ヨハネ1:29; ピリピ2:9-11; ヘブル7:25-26; Ⅰペテロ1:18-19)。

私たちは、私たちの主イエス・キリストが、ご自身の血を流し、十字架上での犠牲的死 を通して私たちの贖いを達成してくださったこと、そして、その死は、自発的な死であり、身代わりの死であり、神の怒りをなだめる死であり、人の罪を贖う死 であると信じる(ヨハネ5:15; ローマ3:24-25; 5:8;Ⅰペテロ2:24)。

私たちは、主イエス・キリストの死の有効性に基づき、キリストを信じる罪人が罪の報 い、それに伴う罰、罪の力、そしていつの日か罪の存在自体から解放されること、そしてその罪人が義と宣告され、永遠のいのちを与えられ、神の家族として加 えられることを教える(ローマ3:25; 5:8; 9:2; Ⅱコリント5:14-15; Ⅰペテロ2:24; 3:18)。

私たちは、私たちの義認が、聖書に記されているとおりに、肉体的におこったキリスト の死からの復活によって確証され、今このキリストが天に昇られ、父なる神の右の座におられ、そこで私たちの弁護者また大祭司として執り成しの働きをしてい ることを教える(マタイ28:6; ルカ24:38-39; 使徒2:30-31;ローマ4:25; 8:34; ヘブル7:25; 9:24; Ⅰヨハネ2:1)。

聖霊なる神

私たちは、聖霊が神であり、永遠に存在し、初めから存在する方であることを信じる。 そして、すべての神としての属性において聖霊は父と子と同等であり、同質であると信じる(マタイ28:19; 使徒5:3-4;28:25-26; Ⅰコリント12:4-6; Ⅱコリント13:14; エレミヤ31:31-34とヘブル10:15-17)。

私たちは、全人類に直接関わり、神のみこころを遂行するのは聖霊の働きであること信 じる。私たちは、天地創造(創世記1:2)、受肉(マタイ1:18)、聖書の啓示(Ⅱペテロ1:20-21)、また救いの働き(ヨハネ3:5−7)におい て聖霊は主権的な働きをされたと信じる。

私たちは、この時代における聖霊の働きが始まったのはペンテコステであったと信じ る。聖霊はキリストの約束(ヨハネ14:16-17; 15:26)によって、キリストのからだを設立し、それを完成させるために父のもとから来られたのである。キリストの体とは教会である(1コリント 12:13)。聖霊の働きを大まかに分類すると、世に罪と、義と、裁きを明らかにする事、さらに、主イエス・キリストに栄光を帰し、信徒たちをキリストの 似姿に変えるという働きがである。(ヨハネ16:7−9; 使徒1:5; 2:4; ローマ8:29; Ⅱコリント3:18; エペソ2:22)。

私たちは、聖霊が新生における超自然的で主権的な主体者であり、すべての信徒にキリ ストのからだにつくバプテスマ授けると信じる( Ⅰコリント12:13)。また聖霊は信徒の内に住まわれ、信徒を清め、指導し、奉仕のための力を与え、信徒を贖いの日まで守る働きをすされると信じる。 (ローマ8:9-11;Ⅱコリント3:6; エペソ1:13)。

人間について

私たちは、神が何者も介さず直ちに、ご自分の似姿に人を造られたことを信じる。人は理性と、知性と、意志と、自決と、神に対する道徳的責任を持った罪のない存在として創造された(創世記2:7, 15-25; ヤコブ3:9)。

私たちは、人の創造における神の意図は、人が神の栄光を讃え、神との交わりを楽しみ、神のみこころに沿って生きることであり、これによって人に対する神の目的をこの世で遂行することにあったことを信じる(イザヤ43:7; コロサイ1:16; 黙示録4:11)。

私たちは、啓示されていた神のみこころと神のことばに対するアダムの不従順の罪に よって、人は潔白を失い、霊的及び肉体的死という罰を受ける者となり、神の怒りの対象となり、そして完全に堕落し、神の恵み以外にでは、神に喜ばれること を選ぶことも行うこともできない者になったことを信じる。(詩篇14:1-3; エレミヤ17:9; ローマ3:9-18, 23; 5:10-12)自らを罪のない状態に回復する力を持たないために、人は何の希望もなく滅びに向かう存在である。それゆえに人の救いは神の恵み、つまり、 私たちの主イエスキリストの贖いの業だけにかかっているのである。(創世記2:16, 17; ヨハネ3:36; ローマ3:23; 6:23; Ⅰコリント2:14; エペソ2:1-3; Ⅰテモテ2:13, 14; Ⅰヨハネ1:8)。

救いと新生について

私たちは、救いは神の恵みによってのみ起こると信じる。すなわち、救いはイエス・キ リストの流された血による贖いによって与えられたものであり、人の功徳や善行によって与えられるのではない。(ヨハネ1:12; エペソ1:4-7; 2:8-10; Ⅰペテロ1:18, 19)。

私たちは、新生は神の性質と神のいのちが与えられるという聖霊の超自然的な働きであ ることを信じる(ヨハネ3:3-8; テトス3:5)。新生は神のことばによって、聖霊のちからによってのみ、瞬間的に達成されるものである。それは、悔い改めた罪人が、聖霊の助けによって神 が備えてくださった救いに信仰をもって応答するときに時に起こる。真の新生は、正しい態度と行いという実を結ぶという結果がもたらされことによって知るこ とができる。(Ⅰコリント6:19-20; エペソ5:17-21; ピリピ2:12; コロサイ3:12-17; Ⅱペテロ1:4-11)。
選びについて

私たちは、「選び」は神の御業であると信じる。世界の基が置かれる前に、神はキリス トにあって、憐れみのうちに新生させ、救い、聖化させる者を選ばれていたと信じる(ローマ8:28-30; エペソ1:4-11; Ⅱテサロニケ2:13; Ⅱテモテ2:10; Ⅰペテロ1:1, 2)。

私たちは、完全に堕落した罪人に与えられる選びは、罪人の側の何らかの行動、または、罪人の行動に対する神の予知に基づいて与えられるのではなく、神の恵みとあわれみによってのみ与えられること信じる(エペソ1:4-7; テトス3:4-7; Ⅰペテロ1:2)。
義認と聖化について

私たちは、神の前で義とされることは、神の御業であると信じる(ローマ8:33)。 神は、キリストへの信仰を通し、自らの罪を悔い改め(イザヤ55:6, 7; ルカ13:3; 使徒2:38; 3:19;11:18; ローマ2:4; Ⅱコリント7:10)、キリストを全てを治める主として告白する者たち(ローマ10:9, 10; Ⅰコリント12:3; Ⅱコリント4:5; ピリピ2:11)に対して、義を宣告されるのである。この義は人の美徳や行いとは一切関係がない(ローマ3:20; 4:6)。これは私たちの罪をキリストに置き(コロサイ2:14; Ⅰペテロ2:24)、キリストの義が私たちに転嫁されることに基づいている(Ⅰコリント1:2, 30; 6:11; Ⅱコリント5:21)。

私たちは、全ての信徒は義とされることによって、神のために聖くされた(取り分けら れた)者である信じる。よって、全ての信徒は「聖い者」との宣告を神から受け、「聖徒」としての歩みを始めるのである。この聖化は瞬間的に変えられる信徒 の状態を指しているもので、漸進的聖化と混同してはならない。

私たちは、聖霊の働きによってもたらされる漸進的聖化があることを教える。これは神 のことばへの従順と聖霊の力づけを通して信徒の状態がキリストの似姿に近づけられていくことである。これによって信徒は神のみこころに沿ったより聖い人生 を歩むようになり、主イエス・キリストに似た者に変えられていく(ヨハネ17:17,19; ローマ6:1-22; Ⅱコリント3:18; Ⅰテサロニケ4:3, 4; 5:23)。

私たちは、救われた全ての人が、日々キリストにある新しい創造と肉の性質との間にあ る葛藤の中にいるが、内住する聖霊の力によって勝利を収めるに十分な助けが備えられていることを教える。しかし、この葛藤は地上での生涯が続く限り継続 し、それが終わることはない。それゆえに、この生涯における罪の完全な根絶を説くあらゆる教えは、非聖書的なものである。罪の根絶は起こり得ないが、聖霊 は罪に対する勝利を備えてくださる(ガラテヤ5:24; エペソ4:22-24; ピリピ3:12; コロサイ3:9,10; Ⅰペテロ1:14-16; Ⅰヨハネ3:5-9)。

保証について

私たちは、一度救われ贖われた者はすべて、神の力によって守られているがゆえに、キ リストのうちにあって永遠に救いが保証されていることを信じる(ヨハネ5:24;6:37-40; 10:27-30; ローマ5:9, 10; 8:1,31-39; Ⅰコリント1:4-9; エペソ4:30;ヘブル7:25; 13:5; Ⅰペテロ1:4, 5; ユダ24)。

教会について

私たちは、イエス・キリストを信じるすべての者は聖霊によってすぐに一つの霊的からだである教会(Ⅰコリント12:12, 13)、キリストの花嫁(Ⅱコリント11:2; エペソ5:23-32; 黙示録19:7, 8)に加えられることを信じる。

私たちは、新約聖書において地域教会の設立と継続が明確に教えられ、定義づけられて いること信じる(使徒14:23, 27; 20:17, 28;ガラテヤ1:2; ピリピ1:1; Ⅰテサロニケ1:1; Ⅱテサロニケ1:1)。また、霊的からだに属する者は、地域の集会において共に行動するように命じられていることを教える(Ⅰコリント11:18-20; ヘブル10:25)。

私たちは、教会の最高権威者はキリストであることを信じる(エペソ1:22; コロサイ1:18)。またリーダーシップ、賜物、秩序、戒規、礼拝はすべて、聖書に記されているキリストの御心よって定められていることを教える。キリス トの下で、そして会衆の上に立ち教会に仕える職務として聖書に定められている者は、長老たち(監督、牧師、また牧師-教師とも呼ばれる;使徒20:28; エペソ4:11)と執事たちであり、両者とも聖書が定める資質に適う人物でなければならないと信じる( Ⅰテモテ3:1-13; テトス1:5-9; Ⅰペテロ5:1-5)。

私たちは、これらのリーダーたちがキリストのしもべとして教会を導き、治めること( 1 テモテ5:17-22)、キリストの権威をもって教会を導いていくことを信じる。会衆は指導者のリーダーシップに従うべきであると信じる(ヘブル13:7, 17)

私たちは、弟子訓練( マタイ28:19, 20; Ⅱテモテ2:2)、すべての信徒のアカウンタビリティー・相互責任( マタイ1 8 : 1 5 – 1 7 )の重要性、さらに、罪を犯す教会員に対し、聖書の規準に沿って訓戒を与えること(チャーチ・ディシプリン)の重要性を信じる。(マタイ 18:15-22; 使徒5:1-11; Ⅰコリント5:1-13; Ⅱテサロニケ3:6-15; Ⅰテモテ1:19, 20; テトス1:10-16)。

私たちは、地域教会の自治を信じる。地域教会は自治権を有し、外部からのいかなる支配を受けず、また、あらゆる個人的、組織的階層制に影響を受けないものと信じる(テトス1:5)。

私たちは教会の使命・存在理由は神に栄光を帰すことであると信じる(エペソ 3:21)。具体的には、教会が自らを信仰において建て上げ(エペソ4:13-16)、みことばを教え(Ⅱテモテ2:2, 15; 3:16-17)、交わりを保ち(使徒2:47; Ⅰヨハネ1:3)、礼典を守り(ルカ22:19; 使徒2:38-42)、福音を全世界に宣べ伝える(マタイ28:19; 使徒1:8)ことであると信じる。

私たちは、すべての聖徒が主に仕えるものとして召されていることを信じる(Ⅰコリント15:58; エペソ4:12; 黙示録22:12)。

私たちは、地域教会に対してバプテスマと主の晩餐いう二つの礼典 (ordinance)が与えられていることを信じる(使徒2:38-42)。クリスチャンになった者が受ける浸礼によるバプテスマ(使徒 8:36-39)は、信徒の信仰の荘厳で美しい証であり、キリストの十字架での死、埋葬、復活に対する信仰を表明するものであり、キリストの死、新しいい のちへの復活おいて、キリストと結合させられたこと(Union with Christ)を証するものであると信じる(ローマ6:1-11)。またバプテスマは、目に見えるキリストの体である教会の交わり加えられ、体の一部とさ れる象徴であると信じる(使徒2:41,42)。

私たちは、主の晩餐がキリストの死の記念と宣言であると信じる。主の晩餐はキリスト の再臨の日まで行われ、常に厳粛な自己吟味の後に行われるものである。(Ⅰコリント11:23-32)。私たちは、主の晩餐に用いられるパンとぶどう酒 (ジュース)はキリストの身体と血の象徴でしかないが、復活の主はその場に共にいて下さり、信じる者と親しく交わって下さると信じる(Ⅰコリント 10:16)。


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