デイリーディボーション 10月10日(火)

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デイリーディボーション 10月10日(火)

2017年10月10日(火)

【通読】
マタイの福音書 21:28-32
28ところで、あなたがたは、どう思いますか。ある人にふたりの息子がいた。その人は兄のところに来て、『{子よ。}きょう、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。29兄は答えて『行きます。お父さん』と言ったが、行かなかった。30それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて『行きたくありません』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。31ふたりのうちどちらが、父の願ったとおりにしたのでしょう。」彼らは言った。「あとの者です。」イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女たちのほうが、あなたがたより先に神の国に入っているのです。32というのは、あなたがたは、ヨハネが義の道を持って来たのに、彼を信じなかった。しかし、取税人や遊女たちは彼を信じたからです。しかもあなたがたは、それを見ながら、あとになって悔いることもせず、彼を信じなかったのです。

【ポイント】
①信仰=天の父(キリスト)への愛
このポイントについては繰り返し学んでいますね。「信仰」とは天国に行くためのの方法論を学び、実行することではありません。「信仰」とは、人が作り上げた宗教システム(宗教的行為・作法、伝統)を身につけることでもありません。「信仰」とは、聖書的な倫理、道徳の教えに従うことでもありません。今日の箇所からも分かる通り、天の父が求められている信仰とは、天の父(キリスト)を愛する事です。

もし、キリスト教の信仰の中に先に述べた要素が入っているとすれば、それは天の父への愛を実践した結果であるのです。つまり、「天国」とは私たちは天の父(キリスト)と愛し合うという約束をした結果であって、それ自体が目的ではありません。「礼拝、祈り」などの形式も、あくまで天の父に愛を伝えたいという願いが形になったものです。イエス様の戒めに従うのも、愛する方の戒めを守りたいという思いの結果なのです。

イエス様は今日のたとえ話をで、口先だけで表面的な従順さをもった兄よりも、一見反抗的に見えるが実は父親を大切にしている弟のほうが、本当意味で父を愛していることを教えられたのです。つまり、神様が求められているのは、表面的な宗教熱心さではなく、「天の父を大切にすること」「真心」「愛」を求められていることが分かるのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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