デイリーディボーション 10月25日(木)

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デイリーディボーション 10月25日(木)

2018年10月25日(木)

コリント人への手紙第2 2:1-4
1そこで私は、あなたがたを悲しませることになるような訪問は二度とくり返すまいと決心したのです。2もし私があなたがたを悲しませているのなら、私が悲しませているその人以外に、だれが私を喜ばせてくれるでしょうか。3あのような手紙を書いたのは、私が行くときには、私に喜びを与えてくれるはずの人たちから悲しみを与えられたくないからでした。それは、私の喜びがあなたがたすべての喜びであることを、あなたがたすべてについて確信しているからです。4私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした。

【ポイント】
①パウロの苦労を知る
今日の箇所から、パウロが第三次伝道旅行の際にエペソに長く滞在していた際に一度コリントを訪問し、今計画しているコリント訪問は3度目になると考えられます。さらに、パウロが第2の手紙を書く前に、「涙ながら」に手紙を書いていたことも分かります。

いずれにしても、パウロの2度目の「悲しませている」訪問と、「涙ながら」の手紙によって、この手紙を書いている時点で、コリント教会の中にパウロに対する強い反感、不信感を抱いている人がいたのです。

私たちが知るべきポイントは、旧約聖書の預言者も、使徒たちも、そしてイエス様も、人々に真理を語る者は必ず反発や迫害を受けるということです。今の時代にパウロが現れたとしたら、多くの教会、クリスチャンがパウロからの厳しい指摘を受けることになるでしょう。なぜなら、多くの教会が聖書的な教会の姿ではなく、聖書から離れ、人間的(肉的)な思いから教会形成を続けてしまっているからです。しかし、その多くの人たちは自分たちが非聖書的な教会の姿に陥ってしまっている認識がありませんから、問題を指摘されると反省よりも反発が起きてしまうのです。

ですから、コリントの教会の様子は決して他人事ではないのです。私たちは、自分たちの歩みが聖書的であり続けているのか、この世の商業主義(ご利益宗教)、または新興宗教的自己満足に陥っていることがないか、常に自己点検することが大切なのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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