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2017年10月28日(土)
【通読】
マタイの福音書 23:37-39
37ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。38見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。39あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」
【ポイント】
①イエス様のパリサイ人への愛を知る その2
今日の箇所からは、天の父がいかにパリサイ人、律法学者を含むイスラエルの民を深く愛してこられたのかを知ることができます。天の父はその愛から、イスラエルの民に繰り返し預言者を送り、最終的には御子を遣わされました。しかし、彼らはそのメッセージを受け取ろうとしなかったのです。
②タイムリミットがあることを知る
神様はご自分の計画をご自分のタイミングで進められます。ですから、神様は、イスラエルの民、そして異邦人である私たちに対して、真の神様とその愛を知るための十分な機会、時間を与えてくださった上で、最後の審判を行われるのです。悔い改めや神様の愛に応えるための時間が永遠の続くわけではないことを知らなくてはなりません。つまり、神様の愛を知り、その愛に応えるという極めて重要な決断について先延ばしにしている人は、その機会を永遠に逃してしまう可能性があるのです。
③イエス様は今もご自分の羊を集め続けている
イエス様は、天の父が「めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとした」ように、はぐれてしまった羊をご自分の群れに集めようとされています。羊は群れの中でしか生きることができないからです。神様が創造された人間は、神様とつながり、その導き、愛の中でしか生きていけない存在なのです。神様の目から見れば、まことの神様の愛を無視することは、羊が群れを離れたり、ひながめんどりの翼の下から出て行くのと同じように、「自殺行為」にほかならないのです。天の父もイエス・キリストも、私達がそのような悲惨な結末を選ぶことがないように、私達を呼び続けてくださっているのです。
④最終的な決定は私たちに委ねられている
日本人は意思決定が不得意だと言われています。「和」を大切にするあまりに、自分にとって最も重要な決断についても、主体的な決断を下すことができない人が沢山いると言われています。確かに、社会、組織の中では「和」を大切にすべき場面は多くあります。しかし、人生には自分だけしか決定できないこと、他人に判断を任せてはならにこと、自分の責任で決断しなければならないことがあるのです。それは「信仰決心」であり、「イエス・キリストを第一として生きていく決断」です。
最後にヨシュア記24章に記されているヨシュアの告白を聞いてみましょう。
「14今、あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕えなさい。あなたがたの先祖たちが川の向こう、およびエジプトで仕えた神々を除き去り、主に仕えなさい。15もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」
ライフチャーチ
大谷信道