デイリーディボーション 2月13日(火)

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デイリーディボーション 2月13日(火)

2024年2月13日(火)
【今日のみことば】 コリント人への手紙第一 10:5-7 5にもかかわらず、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。6これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。それは、彼らがむさぼったように私たちが悪をむさぼることのないためです。7あなたがたは、彼らの中のある人たちにならって、偶像崇拝者となってはいけません。聖書には、「民が、すわっては飲み食いし、立っては踊った」と書いてあります。
【ポイント】 ①現代における「偶像礼拝」について考える 現代の教会の中に「偶像礼拝」は存在するのでしょうか。多くのクリスチャンは「現代のクリスチャンの中に積極的に偶像礼拝を行うような人を見たことがない」と思っていることでしょう。確かに、カトリック教会の伝統・文化の中には、十戒の「4あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。」という神様の御心に反している部分があることは明らかです。地域、地方によっては「それはマリア崇拝であり、偶像礼拝でしょ!」と言いたくなるような習慣・祭りが存在していますね。反対に、プロテスタント教会は、宗教改革を通して、偶像礼拝に陥る可能性のある過去の教会の悪しき習慣を根絶する努力を続けてきたわけです。それでは、プロテスタント教会の中には「偶像礼拝」にあたるような行為は一切ないのでしょうか?
私は、カトリック教徒であろうが、プロテスタント教徒であろうが、それが人間である限り、その内には「偶像礼拝」という罪の性質を持ち合わせていると思っています。モーセの十戒は単なる「禁止事項のリスト」だけではありません。というのも、私たちが正直に十戒と向き合うときに、自分の内面にそれらの戒めを破ってしまいたいという欲求が存在していること、罪の性質から逃れることができないという事実に気が付くはずだからです。つまり、もし、わたしたちが神様の前での正直さを持つときに、今日のテーマである「偶像礼拝」が自分とは関係の無い話などではないことに気づくはずなのです。
それでは、具体的に現代のプロテスタントクリスチャンの中にも存在する偶像とはどのようなものなのでしょうか。偶像とは真の神、唯一の神以外を神様として崇めること、または、人間の手で作った彫刻などを神として崇めることだとしましょう。ということは、私たちの頭の中にある神様のイメージが、聖書に啓示されている真の神様と合致していなければ、それは自分が勝手に作り出した神様のイメージを神として崇めることになり、偶像礼拝ということになるわけです。それは異教の神を神としたり、その像を拝んだりすることとは全く別のことだと感じる人も多いことでしょう。しかし、例えば、アメリカでは「God bless America」という言葉を見聞きすることがありますが、もし人が聖書の神様はアメリカという国家を特に愛し、特別に祝福してくださる神であり、アメリカは神様から特別に愛され祝福されている国であると信じていたとしたらどうでしょうか。自分の住んでいる国の繁栄を願う気持ちは理解できます。しかし、この神様のイメージは、イエス・キリストが明らかにされた神様の姿と合致するでしょうか。
明らかな偶像礼拝よりも、先の例のような少しだけ間違いが含まれる異端的キリスト教の問題のほうが深刻なのです。よく「上手に嘘をつくには、大量の真実のなかに少しだけの虚言を混ぜよ!」というような言葉を聞きます。しまい語っている内容の大部分が真実であると、多くの人がその人を信用してしまうという傾向があるわけです。多くのフェイクニュースもこのような手法で作られているのではないかと思います。実は、キリスト教会でも同じような現象を見ることができます。端っこがちょっとだけ異なる教会、つまり異端的な教会に引っかかってしまう人が現代でも少なくないのです。
異端を含む、間違った神様のイメージを持ってしまう偶像礼拝の問題は全く他人事ではありません。イエス様が最終的に明らかにされた神様の姿をしっかりと捉えようではありませんか。
ヘブル人への手紙 1章1-2節 1神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、2この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
ライフチャーチ 大谷信道


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