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2017年3月18日(土)
【通読】
ヨハネの福音書 15:18-27
18もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。19もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。20しもべはその主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害します。もし彼らがわたしのことばを守ったなら、あなたがたのことばをも守ります。21しかし彼らは、わたしの名のゆえに、あなたがたに対してそれらのことをみな行ないます。それは彼らがわたしを遣わした方を知らないからです。22もしわたしが来て彼らに話さなかったら、彼らに罪はなかったでしょう。しかし今では、その罪について弁解の余地はありません。23わたしを憎んでいる者は、わたしの父をも憎んでいるのです。24もしわたしが、ほかのだれも行なったことのないわざを、彼らの間で行なわなかったのなら、彼らには罪がなかったでしょう。しかし今、彼らはわたしをも、わたしの父をも見て、そのうえで憎んだのです。25これは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と彼らの律法に書かれていることばが成就するためです。26わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。27あなたがたもあかしするのです。初めからわたしといっしょにいたからです。
【ポイント】
①イエス様の弟子となる代償
イエス様は、私たちがイエス様を信じ、弟子として従っていくときに、私たちが支払うべ代償についてはっきりと説明されています。それは「世はあなたがたを憎む」(19節)ことです。もちろん、人類全員から憎まれるという意味ではありません。実際、使徒の働き2章47節には「神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」とある通りです。しかし、当然のことながら、私たちがイエス様を主として、そのみことばに仕方うことを嫌がる人たちが存在することも事実です。というのも、イエス様のみことばを聞くと、私たちは自分が罪人であることに気付かされ、悔い改めを求められることになるわけですが、それが嫌なのです。悪い行いをしている意識がない人も、例えばルカ9章23節の「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」という招きに抵抗を覚えるのです。
②私たちは、イエス様のメッセージを忠実に語っているか?
このように、イエス様はこの世の人々が嫌がるメッセージを隠すことなく、すべて明らかにして語られています。繰り返し学んでいますが、私たちは一人でも多くの人がイエス様を信じて欲しいという思いが強いあまりに、ズルをすることがあります。それは、救い、赦し、永遠のいのち、天国、祝福など、この世の人が喜ぶメッセージばかりを強調し、イエス様を愛すること、イエス様の栄光のために生きること(自分を捨てること)、愛から出る自発的な服従(自分の十字架を負うこと)などについて後回しにしてしまうことです。それは、イエス様に対しても、福音を分かち合っている相手に対しても大変不誠実な行為であることを知らなくてはなりません。イエス様は、「とりあえず信じれば良いんだよ。分からないことがあっても後から勉強すれば良いんだよ。」などという、不誠実な方法で人々を招いたことは一度もないことを覚えておきましょう!
救い、赦し、天国を求めている人はたくさんいることでしょう。しかし、私たちはその人たちのニーズに応えるために伝道をしているのではありません。私たちは、人々からの愛、賛美、礼拝、栄光を受けたいという、神様のニーズのために招かれ、召されているのです。私たちは神様のニーズに応えるために働き、その結果として人々は祝福の中に導かれるのです。しかし、今日の箇所から分かる通り、イエス様のみことばを忠実に伝えれば、人々から嫌がられること、迫害されることが必ず受けるものだということをイエス様は予め教えてくださっているのです。
ライフチャーチ
大谷信道