デイリーディボーション 3月21日(火)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 3月21日(火)

2017年3月21日(火)

【通読】
ヨハネの福音書 16:11-15
12わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。13しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。14御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。15父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。

【ポイント】
①聖霊の働きと教会
15章では「ぶどうの木のたとえ」、「迫害の予告」についてが語られ、17章(礼拝メッセージの箇所ですね。)では「弟子(信徒)の一致」が教えられています。その間に挟まれているのが16章です。1節はこのように始まっていましたね。「1 これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがつまずくことのないためです。 」

このような文脈の中で「聖霊の働き」について語られていることを理解することが大切です。そもそも、聖書につけられている「章」「節」の数字は後の時代につけられたものであり、語っているイエス様は、章立てなどを意識しながら話したり、脈絡なく教えを羅列しているはずもありません。今日の箇所に限らず、聖書を読む時に、筆者(イエス様)の語ろうとしている内容、文脈をしっかりと追いながら読み進め、理解することがバイブルスタディーの基礎の基礎であることを覚えておきましょう。この一点を意識して読むだけでも、極めて有効な学びとなるはずです。

それでは、15章から順に文脈を追っていきましょう。先に確認した通り、15章の1節から17節までは「ぶどうの木のたとえ」です。ポイントは、①「一人ひとりがイエス様につながること」でしたね。15章18節から16章4節までは②「迫害の予告」です。16章5節から15節(今日の箇所)は③「聖霊の働き」が教えられ、16節から33節は④「励まし」、そして17章から最後の祈りでは⑤「弟子(信徒)の一致」について祈られます。

つまり、①~⑤までをまとめると、①イエス様は信じる者一人ひとりがイエス様のぶどうの木の枝としてつながり、実を結ぶこと(その姿はまさに「教会」ですね。)を望まれている。②しかし、イエス様を信じる者は迫害を受けることになる。③ですから、信じる者がつまずいてぶどうの木から離れてしまわないように、イエス様は聖霊を与えてくださる。④ですから、信じる者は落胆することなく、イエス様を信じ続ければよいとの励ましを与えらる。⑤そして、最後に弟子たちが迫害のなかで散らされることなく、イエス様の名によって一致を保ち、与えられた使命を全うすることを、祈られたのです。

このように理解できれば「聖霊の働き」は明らかですね。聖霊はイエス様の代わりに、弟子たちを導き、一致を保たせ、与えられた使命を完遂させてくださるのです。この文脈を見落とし、人間の欲望、エゴが入り込んでいることに気が付かずに「聖霊に満たされる感覚を味わいたい。」「他の人よりも優れた霊の賜物がほしい。」などという理由から聖霊の満たしを求めてしまう落とし穴にハマってしまうことがあるのです。

しかし、昨日も学びましたが、本当に聖霊に満たされている「目印」は、キリストの愛にある教会(家庭)の一致です。超教派の集まりなどで「いかにも本当っぽい聖霊の話」を耳にするかもしれません。でも、御霊の実の一番は「愛」であり、肉の業は「分裂」であることを忘れてはなりません。昨日の繰り返しになりますが、教会、家庭に愛の実が結んでいれば、そこには豊かな聖霊の満たしと働きがあるという確信を持ってよいのです。聖霊の働きは「感覚」「体験」ではなく、その実を見ていくことが大切であり、聖書的な理解だと思います。

ライフチャーチ
大谷信道


side_worship side_info