デイリーディボーション 3月24日(金)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 3月24日(金)

2017年3月24日(金)

【通読】
ヨハネの福音書 17:1-5
1イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。2それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。3その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。4あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。5今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。

【ポイント】
①「すべての人を支配する権威」
民主主義の社会に慣れ親しんでしまった私たちが嫌悪感、拒絶感を覚えるものは、政府、会社、他人からの「支配」でしょう。歴史を振り返れば、国の主権が特定の個人ではなく、民衆にあるという国家のあり方は素晴らしいものであるように思えます。しかし、聖書にはすべての主権はイエス・キリストにあると明記されています。この2つは決して矛盾するものではありません。イエス様、使徒パウロも教えられた通り、私たちは「良き国民」として生活しながら、イエス・キリストに服従するという生き方が可能だからです(マタイ22:21, ローマ13:1)。

ここで大切なポイントは、それでは私たちは、イエス・キリストの「すべての人を支配する権威」を受け入れ、それに相応しい歩みをしているのかということです。現代の民主主義社会において、多くの人は自分に、または自分の住んでいる地域、自分の勤めている会社、業界に利益をもたらしてくれる人を自分たちの代表として選んでいます。残念ながら、イエス・キリストについても、自分のニーズ、欲求を満たしてくれるものとして選んでいる人は少なくありません。しかし、私たちとイエス・キリストの関係はそのようなものではありません。2節に「すべての人を支配する権威を子にお与えになった」と記されている通りなのです。私たちが自分たちの国にイエス様を招いたのではなく、私たちのほうがイエス・キリストが主権を持ち、治められている国に招かれ、キリストを愛するという約束によって、その国民となることが許されたのです。

あなたは、このポイントを本当に理解し、受け入れているでしょうか?

エペソ 1:20-21
「20神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、21すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。」

ライフチャーチ
大谷信道


side_worship side_info