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2017年3月27日(月)
【通読】
ヨハネの福音書 17:20-26
20わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。21それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。22またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。23わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。24父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。25正しい父よ。この世はあなたを知りません。しかし、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。26そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。」
【ポイント】
①イエス様の私たちのための祈り
福音書に記されているイエス様のことばのほとんどは、私たちに直接かけられたものではありません。弟子たちや人々に語られたみことばの意味を理解し、それを自分に当てはめて考えるのです。これをみことばの適用といいます。しかし、20節の「彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。」ということばから、このイエス様の祈りが私たちに直接向けられたものであることが分かるのです。
それでは、イエス様は私たちのために何と祈っておられるのでしょうか。21節を見てみましょう。「21それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。」ここでも、イエス様はイエス様を信じる者の愛の一致について祈られています。この点については、昨日の礼拝でも取り上げましたね。
イエス様の次の祈りは、私たちが世に対して証しを立てることです。「21・・・また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。」
もし、私たちがイエス様の愛をしり、イエス様の命令どおりに互いに愛し合うことを実践していないのに、他の人に愛について語ったり、教えたりするとしたら、私たちは偽善者となってしまいます。マタイ23章3節のイエス様のパリサイ人、律法学者に対するお叱りのことばを聞きましょう。「ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。けれども、彼らの行ないをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。」
イエス様を本当に愛する者は、イエス様の祈りに応え、戒めに従い、互いに愛し合うこと、赦し合うことに真剣に取り組むはずです。「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」(ヨハネ14:21) イエスを信じる者同士が互いに愛しあうことを実践すると、そこにクリスチャンの集まりができます。そのイエス様の愛によって一つとされた人の群れが教会なのです。
ライフチャーチ
大谷信道