デイリーディボーション 3月29日(水)

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デイリーディボーション 3月29日(水)

2017年3月29日(水)

【通読】
ヨハネの福音書 18:10-11
10シモン・ペテロは、剣を持っていたが、それを抜き、大祭司のしもべを撃ち、右の耳を切り落とした。そのしもべの名はマルコスであった。11そこで、イエスはペテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう。」

【ポイント】
①弟子たちの記憶
「弟子の一人が大祭司のしもべの耳を切り落とした」と言う記録は4つの福音書に記されています。この箇所だけでなく、各福音書を比較すると、それぞれの記述の違いから著者が大切だと思っていた事柄の違いなどを推測することができます。

まず、耳を切り落とした弟子の名前、耳を切り落とされた大祭司のしもべの名前を記述しているのはヨハネの福音書のみです。ヨハネの福音書は他の福音書(共観福音書)の記述と大きく違うわけですが、それはヨハネの福音書の記述が不正確であるためではなくことは明らかです。むしろ、ヨハネは、その場所に居合わせ、出来事を間近で目撃した人しか知り得ない情報を持っていたことが分かります。さらに、18章15節の「この弟子(おそらくヨハネ本人)は大祭司の知り合いで、イエスといっしょに大祭司の中庭に入った。」という記述からも、逮捕、裁判の時にイエス様の一番近くで出来事を見ていたのがペテロではなく、ヨハネであった事が分かります。また、大祭司のしもべの名前を知っていたという事実も納得できます。

マタイだけに記されている箇所は26章52-53節です。「52そのとき、イエスは彼に言われた。「52そのとき、イエスは彼に言われた。『剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。 53それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。』」
ここから、イエス様が武力によって世を変革したり、治めたりする力を持っているけれども、そのような意図は全くないこと、さらに弟子たちが武力に訴えることも禁じていることが分かります。過去から現在に至るまで多くのクリスチャンによって平然と無視され、破られてきた戒めですね。しかし、このイエス様の一言があるのと無いのとでは、私たちクリスチャンが考える社会のあり方が全く違ったものになっていたであろうと思われる、極めて重要なみことばではないでしょうか。

ルカだけに記されている記述は22章51節です。「51するとイエスは、『やめなさい。それまで』と言われた。そして、耳にさわって彼をいやされた。」医者であったルカ(コロサイ4:14)らしい記録であるとも言えます。ヨハネの福音書18章26節に、このマルコスの親類の一人がペテロに「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね。」と詰め寄ります。もしイエス様癒やされていなかったとしたら、大変な騒ぎになり、間違いなくペテロも逮捕され、有罪となっていたことでしょう。、

マルコ14章51-52節は、マルコの福音書だけに記されているエピソードです。「51ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕らえようとした。52すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた。」この青年はマルコ本人だったのではないかと考えられる事が多いようです。弟子たちがどのような様子でイエス様を置き去りにして逃げてしまったのかを描写するだけでなく、自分がその一人であったという記録として、このような箇所を載せたのかもしれません。

福音書を比較するだけでも、様々な発見があり、理解を深めることができますね。4福音書が互いに補い合っているという見方もできますね。

ライフチャーチ
大谷信道


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