デイリーディボーション 3月31日(金)

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デイリーディボーション 3月31日(金)

2017年3月31日(金)

【通読】
ヨハネの福音書 18:15-18
15シモン・ペテロともうひとりの弟子は、イエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いで、イエスといっしょに大祭司の中庭に入った。16しかし、ペテロは外で門のところに立っていた。それで、大祭司の知り合いである、もうひとりの弟子が出て来て、門番の女に話して、ペテロを連れて入った。17すると、門番のはしためがペテロに、「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね」と言った。ペテロは、「そんな者ではない」と言った。18寒かったので、しもべたちや役人たちは、炭火をおこし、そこに立って暖まっていた。ペテロも彼らといっしょに、立って暖まっていた。

【ポイント】
①弟子たちの実際について考える
もう一人の弟子とは、ヨハネ自身であったと思われます。しかし、ガリラヤの片田舎の漁師がパレスチナ全体で最も大きな富と権力を有している大祭司と知り合いであるということはあり得るのでしょうか。そのような疑問は私たちの勝手な思い込みから来ているようです。当時のパレスチナ地方では、船を作るための大きな木材を採ることができるような樹木がほとんどなかったと言われています。ですから、漁に出るための船は極めて高価だったようです。1986年にガリラヤ地方で1世紀に使われていたと思われる舟が発掘され、その大きさは長さ8メートル、幅2.3メートルほどで、15人乗船可能なものでした。例えばマルコ1章19-20節を見ると「19また少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らも舟の中で網を繕っていた。20すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。」とあるように、ヨハネの父、ゼベダイは船を所有し、雇い人までいたことが分かります。ですから、ヨハネ、ヤコブの兄弟は経済的に豊かな「網元」の家に生まれ育ったのであろうと考えられています。ヨハネの父がガリラヤ地方の有力者だとすれば、恐らく神殿への献金額も大きいことでしょうから、大祭司と個人的な関係があったことが推測できるわけです。とは言え、イエス様の逮捕、ユダの裏切りなどの情報を手に入れたり、それを阻止するほどの関係を持っていたわけではなかったようです。

イエス様のそばには仕事を捨て従った12人の弟子がいました。イエス様の公生涯が3年だったとすれば、イエス様を含む13人の男性が食べていく必要がありました。彼らが「マナ」を食べていたとか、イエス様が常に4千人、5千人の給食のようなしるしを行っていた記述はありませんから、彼らが生活するためにはかなりのお金が必要だったことは明らかです。ユダが会計係に任命されていた事実(ヨハネ13:29)から、それぞれがお金を出し合ってユダが管理していたのでしょう。ですから、弟子たちの中に、ヨハネ、ヤコブのように経済的に豊かな者が含まれていたことは伝道活動にとって大変大きな助けになったと思われます。

イエス様の伝道活動の経済面について考えることはほとんどないかもしれません。しかし、福音書はおとぎ話ではなく、12人の男性が仕事を捨て、イエス様に従った実際の記録です。もちろん、神様によって必要が満たされたわけですが、お金が天から降ってきたわけではありません。現実としてどれぐらいのお金が必要だったのか、そのお金はどこから来たのかなどという、彼らの生活の実際について調べたり、考えることも大変意味のあることだと思います。

ライフチャーチ
大谷信道


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