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2017年4月10日(月)
※週報のディボーション箇所が間違っていましたので訂正いたします。
ヨハネの福音書
(月)19:23-24 (火)19:25-27 (水)19:28-30
(木)19:31-37 (金)19:38-42 (土)20: 1-10
【通読】
ヨハネの福音書 19:23-24
23さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目なしのものであった。24そこで彼らは互いに言った。「それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」それは、「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた」という聖書が成就するためであった。
【ポイント】
①ヨハネならではの情報
マタイ、マルコ、ルカの福音書にも、兵士がくじ引きでイエス様の着物を分けたという記述があります。例えばマタイ27章35節には「こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、」とありますが、マルコ、ルカもほぼ同じような記述になっています。しかし、今日の聖書箇所を見ると、より細かい記録がなされている事が分かります。
着物が4等分されたこと、つまり、兵士が4人いたこと、イエス様の下着が上等な一枚物であったこと、くじ引きは下着をもらう人を決めるために行われたことなど、ヨハネはイエス様の十字架の直接の目撃者として、その場にいなければ知り得ない情報を自身の福音書に載せたのです。
②くじ引きの重要性
4福音書すべてに兵士がイエス様の着物をくじ引きで分けたという、私たちの感覚ではそれほど重要ではないと思われる出来事が記録されています。この理由に関しても、ヨハネだけが説明しています。それは、詩篇22篇18節の「彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。」という預言の成就です。使徒ヨハネは、このような細かい部分、しかし意図的に操作することができない部分にまで預言の成就を見ることができること、つまり、イエス様の十字架が神様の計画であったことを説明したいと思ったのでしょう。
それでは、マタイ、マルコ、ヨハネはこの出来事(詩篇22篇の成就)がそれほど重要ではないと考えていたのでしょうか。そうではありません。実は、マタイとマルコは、詩篇22篇の預言の成就についてはっきりと記しています。詩篇22篇の冒頭を見てみましょう。「1わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか・・・。」
そうです。マタイ27章46節、マルコ15章34節に記されているイエス様の十字架上での最後のことばです。マタイとマルコもイエス様の十字架と詩篇22篇の関連性が極めて重要であることを知っていたのです。彼らはあえて詳しい説明をしていませんが、「1わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか・・・」というイエス様のことばを聞いた瞬間に、ユダヤ人の誰もが、それが詩篇22篇の引用であると気づくとを知っていたのです。
③詩篇22篇を読んでみよう!
ここで重要なことは、4福音書ともイエス様の十字架と詩篇22篇の関連性、その重要さを示唆しているのですから、必ず詩篇22篇を読むことです。イエス様の「1わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか」ということばの続きとして22篇の最後まで読んでみましょう。「目からうろこ」的な感じで、イエス様のことばの真意を理解することができるでしょう。
ライフチャーチ
大谷 信道