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2017年4月14日(金)
【通読】
ヨハネの福音書 19:38-42
38そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろした。39前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。40そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。41イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。42その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。
【ポイント】
①ヨセフとニコデモの覚悟の大きさを知る
アリマタヤのヨセフ、ニコデモは共にサンヘドリン(ユダヤ最高議会)の議員でした。「さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。」(ヨハネ3:1)、「50彼らのうちのひとりで、イエスのもとに来たことのあるニコデモが彼らに言った。51『私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか。』」(ヨハネ7:50-51)
「アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。」(マルコ15:43)
サンヘドリン(ユダヤ最高議会)は大祭司を長として71人の議員で構成されていました。当時の最大教派であるサドカイ派が多数を占めていましたが、パリサイ派(律法主義的)の人々も含まれていました。「ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。」(使徒5:34)
ちなみに、大祭司を含むサドカイ派の人々は復活を信じない(マルコ12:18)、その信仰が世俗化、形骸化しているグループであり、一方、パリサイ派は律法の遵守を大切にする人々(ある意味聖書的)でした。
さて、先に確認した通り、アリマタヤのヨセフは71人いた議員の中でも「有力者」であり(マルコ15:43)、ニコデモもイエス様から「イスラエルの教師」と呼ばれるほど(ヨハネ3:10)ユダヤ人社会の中で大きな影響を持つ人物であったことが分かります。また、マタイ27章57節ではヨセフは「金持ち」であったとも記録されています。つまり、アリマタヤのヨセフも、ニコデモも由緒正しい家に生まれ、多くの財産をもつ、ユダヤ人社会の中では大変有名な人々であったと推察できるわけです。そのような人物だからこそ、ピラトはイエス様の遺体の引取を許可したのでしょう。
そのような二人が公にイエス様の遺体を引き取るという行為の背景には、私たちの想像をはるかに超える「覚悟」があったことを知らなくてはなりません。イエス様の遺体を引き取るということは、彼らが手にしていた家柄、地位、財産、人々からの尊敬などの全てをイエス様のために犠牲にするという覚悟です。自分のことだけでなく、家族や親戚にまでも大きな迷惑がかかる可能性もあったことでしょう。しかし、ヨセフとニコデモはそのことを承知の上で、自分がイエスの弟子であることを表明したのです。
ライフチャーチ
大谷信道