デイリーディボーション 4月18日(火)

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デイリーディボーション 4月18日(火)

2017年4月18日(火)

【通読】
ヨハネの福音書 20:19-23
19その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」20こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。21イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」22そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。23あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」

【ポイント】
①「平安」が与えられる
この短い箇所で、イエス様は4つの約束を与えられていることが分かります。「平安」「使命」「聖霊」「権威」です。

4つとも説明したいのですが、今朝は「平安」のみに触れたいと思います。ヘブライ語の「シャローム」という挨拶は、「こんにちは」と訳されることが多いですが、直訳すると「平安」となります。平安(平和)とは戦争のない状態だけではなく、神様のみが人間に与えることができる心の中の平安(平和)を意味します。

私たちがイエス・キリストと出会い、キリストの愛を知り、キリストを愛する者とされる時に、私たちの心の中にはこの世の何者も与えることができない「平安」を得ることができると、イエス様ご自身が約束してくださっているのです。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(14:27)、「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(16:33)

皆さんは、このイエス様の平安を与えてくださる約束を信じているでしょうか。また、実際に「平安」を体験しているでしょうか。また、「平安」をイエス様との愛の交わりの中に求めているでしょうか。

子どもの情緒的、精神的な安定は、親の無条件の愛の中で育まれます。なぜなら、自分は常に受け入れられ、何があっても親の自分に対する愛は変わることがないと知る時に、心に平安を持つことができるからです。情緒的、精神的に安定すれば心に平安を持つことができるのではなく、親の愛によって心に平安が与えられた結果として、情緒面、精神面が安定するのです。反対に、親は常に変わることなく自分を愛し、認め、信頼してくれているという実感を持つことができない子どもは、常に心の中に不安を抱えることになります。親の愛を確認するために、親の期待に応えようと勉強やスポーツなどを頑張ったり、それが無理だと分かると、反対に親を困らせ、気をひいたりしてみたりするのです。

残念ながら、人間の親は不完全な存在なので、全ての子どもが親の無償の愛を体験し、平安を得ることはできないという現実があります。しかし、解決策があるのです。それは、天の父の愛、キリストの愛を知り、その愛を信じ、受け入れ、実を委ねることです。その時に、私たちは本当の平安を体験することができます。このプロセスの中で一番大切なことは、神様の愛を信じることです。自分がどのような学校に進もうが、職業に就こうが、この世的な成功を収めても、収めなくても、聖書の知識が豊富であっても、そうでなくても、自分の想像している理想的なクリスチャンであろうが、なかろうが、神様は変わることなく私たちを愛し、受け入れ、認め、支え、導いて下さるという、神様の愛を信じることです。

弟子たちは、イエス様を裏切り、逃げ、隠れていました。イエス様は、そのような弟子たちの前に現れ下さり、その愛に変わりがないことを示されました。イエス様を裏切って逃げた弟子たちに、イエス様は依然として弟子たちをご自分の計画のために用いたいと思っていることを明らかにされたのです。後悔、罪責感、不安、恐れで一杯だった弟子たちに、変わらぬ愛を示し、平安を与えられたのです。神様は、同じ愛をもって私たちを愛してくださり、平安を与えたいと思われているのです。イエス。キリストによって現された神様の愛を信じようではありませんか!

ライフチャーチ
大谷信道


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