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2017年4月24日(月)
【通読】
ヨハネの福音書 21:15-25
15彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」16イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」17イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。18まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」19これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」20ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか」と言った者である。21ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」22イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」23そこで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に行き渡った。しかし、イエスはペテロに、その弟子が死なないと言われたのでなく、「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか」と言われたのである。24これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。25イエスが行なわれたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。
【ポイント】
①イエス様の信仰への招き
イエス様はペテロに対し、三度も「あなたは私を愛しますか」という質問を投げかけます。恐らく、ペテロが三回「イエス様を知らない」と言ってしまった事へのイエス様の応答であると思います。しかし、イエス様のこの質問はペテロに対するイヤミでも、単なる事実確認ではなく、イエス様を三度否んでしまったペテロに対する「赦し」と「変わらぬ愛」のメッセージなのです。
②ペテロの信仰告白
ペテロの「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」と答えます。一見すると、はっきりしない答えに聞こえますが、実は、「はい、私はあなたを愛します。」という答えよりも遥かに誠実で、確信を伴うものです。マルコの福音書14章31節でペテロは「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」と宣言したと記録されています。しかし、イエス様の言われたとおりの結果となりました。ペテロは自分の確信、自分の宣言は全てをご存知であるイエス様の前では空しいものであることを学んだのです。ですから、ペテロはイエス様への愛に確信はありましが、イエス様の判断に身を委ねたのです。しかし、これは本当にイエス様を愛している者、イエス様の前に一切隠し事をしていない者だけが口にすることができる答えなのです。
③使命の授与
イエス様の復活を通して、イエス様が本当にキリストであると理解したペテロは、イエス様をキリストとして信じ、愛する決意を新たにしました。このペテロに対し、「私の羊を飼いなさい」という命令を三度与えます。この一言には、他の福音書に記されている「宣教命令」と同じ、それ以上のメッセージが込められています。宣教命令は「弟子作り」「個人伝道」「海外宣教」の命令だと思っているクリスチャンが多くいるようですが、イエス様のビジョンはイエス様を信じる者の群れの形成であることが今日の箇所から分かります。事実、イエス様は10章16節で「16
わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。」と教えられています。つまり、「弟子作り」「個人伝道」「海外宣教」はあくまでも、イエス様を信じる者の群れを形成するためのプロセス、手段であり、イエス様のビジョンはイエス様を牧者とし、互いも愛し合う群れの形成にあるのです。羊は一匹で生きることができない弱い動物です。同様にイエス様に見つけ出された羊も同じです。群れが必要なのです。「私の羊を飼いなさい」という一言は、私たちが思っている以上に広範囲(伝道から教会形成)な命令が含まれているのです。
私たちも個人伝道を進める中で、求道者、信仰決心者の方々に、個人的に救いを得ることだけでなく、救われた者がキリストのからだであり、キリストの群れである教会にしっかりとつながることが、イエス様の願い、ビジョンであることをしっかりと伝えてくことが必要なのです。
ライフチャーチ
大谷信道