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2015年4月24日(金)
【通読】
エペソ6:14-17
14・・・胸には正義の胸当てを着け、6:15足には平和の福音の備えをはきなさい。
15足には平和の福音の備えをはきなさい。16これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。17救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
【ポイント】
①「正義」とは?
「正義」ということばは、原語では「ディカイオスネ」というギリシャ語が使われています。このことばは他の箇所では「義・righteousness」と訳されています。英語が得意な方は「正義」と聞くと「justice」ということばを先に思い浮かべるでしょう。この「justice・正義」ということばは、人間的(法的)な正しさや、戦争の際に自国を正当化するときに用いられることがあります。しかし、ここで使われているギリシャ語は、そのような意味での「正義」ではなく、神様の正しさ、神様の前での正しさを意味しているのです。
それでは、神様の前での正しさとは何でしょうか。パウロが1テサロニケ5章8節で用いている別の「胸当て」の喩えを見てみましょう。今日の箇所と合わせると、神様がパウロにどのようなイメージを与えていたのかがより鮮明になると思います。「8しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。」
ここでは、胸当ては「信仰と愛」と記されています。つまり、私たちがキリストを信頼し、キリストの互いに愛し合いなさいという命令に忠実に歩むことが、神様に前での正しさであり、サタンの攻撃から身を守る方法だということです。
このように理解すると、「義の胸当てをつける」という例えを、私たちが日々に生活の中でどのように適用すればよいのかが分かりますね。結局、すべては「神を愛すること」「隣人を愛すること」につながって行くわけです。
「履き物」「大盾」「かぶと」「剣」の喩えは、明日取り上げます。
【今週の礼拝での聖句】
トニー・ウッズ宣教師の引退記念メッセージ
「Sand / 砂」
エレミヤ書5章22節
あなたがたは、わたしを恐れないのか。――主の御告げ――それとも、わたしの前でおののかないのか。わたしは砂を、海の境とした。越えられない永遠の境界として。波が逆巻いても勝てず、鳴りとどろいても越えられない。
【今週の祈り】
「主よ、宣教師としての働きを全うされたウッズご夫妻を感謝致します。礼拝メッセージを通して、あなたに召され、あなたに仕える人生がどれほどエキサイティングなものであったのかを実体験として聞くことができました。どうか、私たちもその励ましを受け、あなたに人生をささげる喜びを日々体験する子ができるように、私たちをお導き下さい。私たちにいのちを与え、素晴らしい人生に導く力を持っていらっしゃるキリストのお名前で祈ります。」
ライフチャーチ牧師
大谷信道