デイリーディボーション 4月26日(水)

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デイリーディボーション 4月26日(水)

2017年4月26日(水)

【通読】
マタイの福音書 1:18-25
18イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。19夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。20彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。21マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」22このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。23「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)24ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、25そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。

【ポイント】
①事の重大さを理解する
イエス様の誕生の経緯は、婚約中であったマリヤとヨセフだけでなく、彼らの家族、親戚、コミュニティーにとって大事件になり得る出来事でした。というのも、律法では正式に結婚した相手意外との性的交渉は、死罪にあたると明記されているからです(例:申命記22章)。ヨセフからすれば、マリヤが妊娠し、その父親が自分でない確信があれば、マリヤが自分以外の誰かと関係を持ったと判断できるわけです。また、もしヨセフとマリヤが正式な結婚の前に関係を持ち、妊娠してしまったとしても、本人たち、その家族にとって大きな恥となる出来事だったに違いありません。クリスマスの降誕劇などでは美しく描かれるイエス様の誕生ですが、実際には大変な出来事だったのです。

しかし、救い主が世に遣わされたことを人間が理解し、信じるためには、このような大きなスキャンダルとなるような方法を取らざるを得なかったのです。もし、マリヤとヨセフが結婚した後にマリヤが聖霊によって身ごもったとしても、当事者であるマリヤとヨセフでさえも、それが二人の間の子どもなのか、聖霊によって与えられた子どもなのかを100%判断することはできないからです。神様は、マリヤとヨセフにご自分の独り子を委ね、育てさせるわけです。その子どもが彼らの子どもではなく、神の独り子であることをきちんと理解させることが極めて重要だったのでしょう。そのような観点から見ると、DNA鑑定などない時代に、ヨセフによってではなく、聖霊によって身ごもらせるという方法は二人が神様の計画を理解する上で大変重要な出来事だったのです。

②私たちはどのように理解したら良いのか?
私たちは、イエス様が処女マリヤから生まれたという常識では考えられない出来事について、私たちの理性、知性を押し殺してでも信じなければならないのでしょうか。処女降誕を信じなければ、私たちの信仰は神様から認められないようなものなのでしょうか。大変難しい問題ですね。

イエス・キリストを信じる事の中に、処女降誕が含まれていると教える牧師もたくさんいると思いますが、私はそのような立場をとっていません。なぜなら、私たちがイエスがキリストであるという確信の決定的な証拠は、イエス様の処女降誕ではなく、イエス様の復活であると理解しているからです。処女降誕については、マリヤ以外の証人は一人もいません。御使いの啓示はあくまでもヨセフの夢の中の出来事であって、ヨセフ以外の誰もそれを目撃していません。つまり、第三者の目撃者、証人がいないので、それが本当に事実であるのか、いくら議論しても結論は出ないのです。これに対して、イエス様の復活には、大勢の目撃者、証人がいます。

イエス様も、「自分は処女から生まれた特別な人間なのである。」と触れ回るようなことはしてなかったことは、福音書を見ても明らかですし、使徒の働きを見れば、使徒たちもイエス様の処女降誕ではなく、イエス様の復活を宣べ伝えていたことが分かります(使徒1:22)。

イエス様の復活を信じられない人は、イエス様の処女降誕も神話以外の何ものでもないとしか理解しないことでしょう。しかし、イエス様の復活を信じる私たちは、イエス様の誕生のエピソードをどのように理解したら良いのでしょうか。

この続きは明日触れることとします。

ライフチャーチ
大谷信道


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