デイリーディボーション 4月4日(火)

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デイリーディボーション 4月4日(火)

2017年4月4日(火)

【通読】
ヨハネの福音書 18:28-32
28さて、彼らはイエスを、カヤパのところから総督官邸に連れて行った。時は明け方であった。彼らは、過越の食事が食べられなくなることのないように、汚れを受けまいとして、官邸に入らなかった。29そこで、ピラトは彼らのところに出て来て言った。「あなたがたは、この人に対して何を告発するのですか。」30彼らはピラトに答えた。「もしこの人が悪いことをしていなかったら、私たちはこの人をあなたに引き渡しはしなかったでしょう。」31そこでピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、自分たちの律法に従ってさばきなさい。」ユダヤ人たちは彼に言った。「私たちには、だれを死刑にすることも許されてはいません。」32これは、ご自分がどのような死に方をされるのかを示して話されたイエスのことばが成就するためであった。

【ポイント】
①信仰の中に潜む肉的な思いに気づく
イエス様十字架へのプロセスを見ると、ユダヤ人指導者達が本当の信仰ではなく、自分たちに利益をもたらす宗教システムを大切にしていたことが分かります。自分たちの既得権益を守るために、人間的な知恵を尽くし、なんとかイエス様を亡き者にしようとしていることが明らかです。

しかし、このような姿は決して彼らだけの問題ではありません。現代のキリスト教会を見ても、信仰によってではなく、肉の欲によって動かされている出来事がたくさんあります。例えば、カトリック教会の組織を見ると、ローマ法王をトップとする聖職者のヒエラルキーが当然のことのように受け入れられ、今日に至るまで存在し続けています。このような組織のあり方が聖書的ではないと批判しているプロテスタント教会の中でも、大きな教会の牧師になること、教団内の要職に就くこと、本を出版すること、新聞やテレビに取り上げられること(有名になること)などが出世、成功だと思っている牧師は少なからず存在します。もう20年以上前になりますが、韓国の教会を訪問した時に、大きな教会の執事になると社会的なステータスが上がるという話しを聞きました。また、長年執事を勤めた人が、執事選挙で落選したら教会に来るのをやめてしまったというような話もよく聞きます。

一番の問題は、この世の人々と変わらない、肉的な価値観が信仰、教会生活の中に入り込んでしまっていることに気が付かないこと、また意図的に隠していることだと思います。ですから、大切なことは、私たちクリスチャン(牧師も、宣教師も、執事も)が常に自分の栄光を求めるという肉的な思い、誘惑にさらされている事実を認めること、ユダヤ人指導者たちの思い、行動が決して他人事ではないことを正直に認めること、そして何よりもイエスさまのみことばに聞き続け、模範に従い続けることなのです。

ルカ 22:25-27
25すると、イエスは彼らに言われた。「異邦人の王たちは人々を支配し、また人々の上に権威を持つ者は守護者と呼ばれています。26だが、あなたがたは、それではいけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。27食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん、食卓に着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。

ライフチャーチ
大谷 信道


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