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2023年4月4日(火)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 11章28-31節 28彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。29神の賜物と召命とは変わることがありません。30ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は、彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、31彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。
①福音を複雑にしてしまっているのは何か? その2 イエス・キリストの福音を複雑なものにしてしまっている最も大きな要因の一つは「伝統(遵守の精神)」ではないでしょうか。福音書をみるとイエス様の時代の律法学者、パリサイ人たちが過去のユダヤ教の教師たちの「言い伝え」、つまり伝統的な聖書解釈を「権威ある教え」として継承していることが分かります。聖書のみことばそのものではなく、時代背景などに大きく影響された、その時々の人間の様々な思いが入り込んでしまっている可能性のある聖書解釈に聖書と同等とは言いませんが、それに近いような権威を認めていたということです。そして、イエス様はその状況に警告を発せられたのです。「6その物をもって父や母を尊んではならない』と言っています。こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。」(マタイ15:6)
「伝統遵守の精神」の悪影響はイエス様の時代のユダヤ教徒だけでなく、現代のプロテスタントクリスチャンにも脈々と受け継がれてしまっているようです。例えば、日本バプテスト連盟の諸教会をみても、ほとんどの教会が今週(イースター前の週)を「受難週」という呼び方をしています。しかし、受難週ということば、また、それをを守るようにとの教えは聖書には記されていません。受難週(聖週間)の遵守はカトリック教会で発達したもので、宗教改革においても議論の対象となったようですが、バプテストの諸教会、また、育った教会の中では当然のこととして、毎年受難週がもたれ、だれもその習慣に疑問を持つ人を見たことがありません。しかし、クリスマス同様、イエス様の弟子たちが現代の教会の暦(年間行事)を見たら、自分たちが見たことも聞いたこともないイベントだらけで驚くことでしょう。
問題の本質は、私たちが、信仰の先輩たちが守っていた習慣を受け継ぐことが「本式(本格的)な信仰」だと勘違いしていることです。ユダヤ人たちのこの勘違いがイエス様の福音に対して、頑なに心を閉ざしてしまった原因の一つなのです。つまり、「聖書のみことば」よりも「ユダヤ教(そこでで発達した伝統や習慣)」という宗教を大切にしてしまったということなのです。同じように、現代のクリスチャンも「聖書のみことば」よりも「キリスト教(そこで発達した伝統や習慣)」を大切にし、それらを守ることが正統な信仰であるかのような感覚を持っていることです。」
福音はシンプルです。神様はユダヤ人、異邦人の区別なく愛され、ご自分の計画の実現のために用いたいと思われているということです。この事実によって、私たちは自分の存在の目的、存在価値を知ることができるのです。私たちにとって重要なことは、ユダヤ教徒としてユダヤ教の伝統の中にいきることでも、キリスト教徒としてキリスト教の伝統を継承することでもありません。聖書に記されている真の神様を信じる者にとって重要なことは、1点です。
マタイの福音書 22章35-40節 35そして、彼らのうちのひとりの律法の専門家が、イエスをためそうとして、尋ねた。36「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」37そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』38これがたいせつな第一の戒めです。39『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。40律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
ライフチャーチ 大谷信道