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2017年4月7日(金)
【通読】
ヨハネの福音書 19:1-16
1そこで、ピラトはイエスを捕らえて、むち打ちにした。2また、兵士たちは、いばらで冠を編んで、イエスの頭にかぶらせ、紫色の着物を着せた。3彼らは、イエスに近寄っては、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と言い、またイエスの顔を平手で打った。4ピラトは、もう一度外に出て来て、彼らに言った。「よく聞きなさい。あなたがたのところにあの人を連れ出して来ます。あの人に何の罪も見られないということを、あなたがたに知らせるためです。」5それでイエスは、いばらの冠と紫色の着物を着けて、出て来られた。するとピラトは彼らに「さあ、この人です」と言った。6祭司長たちや役人たちはイエスを見ると、激しく叫んで、「十字架につけろ。十字架につけろ」と言った。ピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、十字架につけなさい。私はこの人には罪を認めません。」7ユダヤ人たちは彼に答えた。「私たちには律法があります。この人は自分を神の子としたのですから、律法によれば、死に当たります。」8ピラトは、このことばを聞くと、ますます恐れた。9そして、また官邸に入って、イエスに言った。「あなたはどこの人ですか。」しかし、イエスは彼に何の答えもされなかった。10そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」11イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」12こういうわけで、ピラトはイエスを釈放しようと努力した。しかし、ユダヤ人たちは激しく叫んで言った。「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです。」13そこでピラトは、これらのことばを聞いたとき、イエスを外に引き出し、敷石(ヘブル語ではガバタ)と呼ばれる場所で、裁判の席に着いた。14その日は過越の備え日で、時は第六時ごろであった。ピラトはユダヤ人たちに言った。「さあ、あなたがたの王です。」15彼らは激しく叫んだ。「除け。除け。十字架につけろ。」ピラトは彼らに言った。「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」祭司長たちは答えた。「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」16そこでピラトは、そのとき、イエスを、十字架につけるため彼らに引き渡した。
【ポイント】
①自らの権威で十字架に向かわれるイエス様
このポイントについては、水曜日にも学びました。イエス様を十字架につけたのは、ピラトでも、ユダヤ人指導者でも、群衆でもなく、天の父、イエス様ご自身であったということです。確かに、十字架へのプロセスをみると、イエス様を亡き者にするという人間の計画があったことは明らかですが、イエス様が神の小羊として人々の罪を贖うという計画に人間の計画が入り込む余地はないのです。恐らく、イエス様がきちんと無罪を主張すれば、これほど速く十字架刑に処せられることはなかったでしょうし、無罪判決を勝ち取ることもできたでしょう。しかし、イエス様はそのようなことはされなかったのです。
今日の箇所からも、イエス様がご自分の権威、権限によって十字架に向かわれたことが分かります。10-11節を見てみましょう。「10そこで、ピラトはイエスに言った。『あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。』11イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」
この箇所の意味がよく分からないと感じる人も多いと思います。しかし、じっくりと読んでみれば理解できると思います。イエス様は、ピラトがイエス様を十字架につける権威は、ローマ皇帝ではなく、神様に由来していると説明しているのです。先に確認したように、イエス様の十字架での贖いの計画は神様の計画であるので、ピラトが十字架刑を宣言したとしても、それは神様が御心を行なうためにピラトを用いられたにすぎないということなのです。つまり、繰り返しになりますが、イエス様の十字架は100%神様の計画によるもので、そこに人間の意図、計画は一切関係していないということなのです。
ライフチャーチ
大谷信道