誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2015年5月1日(金)
【通読】
エペソ6:21-24
21あなたがたにも私の様子や、私が何をしているかなどを知っていただくために、主にあって愛する兄弟であり、忠実な奉仕者であるテキコが、一部始終を知らせるでしょう。22テキコをあなたがたのもとに遣わしたのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知り、また彼によって心に励ましを受けるためです。23どうか、父なる神と主イエス・キリストから、平安と信仰に伴う愛とが兄弟たちの上にありますように。24私たちの主イエス・キリストを朽ちぬ愛をもって愛するすべての人の上に、恵みがありますように。
【ポイント】
①コミットする者だけが味わえる喜び
教会だけでなく、家庭、学校、職場などにおいても、真剣な関わりをしたものだけが味わえる喜びがあるものです。安全な立ち位置から他人を批評、批判したり、クレームをつけたりすることは、簡単なことですが、批判にさらされる場所に自分を置かない人、人との関わりで、いつもどこかに逃げ道を用意している人は、パウロが味わっている喜びを体験することはできません。ライフチャーチの開拓にコミットしてくださったある期宣教師からのメールを見ると、日本から離れた現在でも、ライフチャーチのために祈り、ライフチャーチの様子を見ながら、パウロと同じ種類喜びを味わっていることがよくわかります。この喜びは、教会という場で、そこにいる主にある兄弟姉妹の人生に深く関わり、そこで重い責任を負った者だけが共有することができる喜びなのです。「同じ釜の飯を食った仲間」「戦友」だけが共有できる喜びと言っても良いかもしれません。つまり、時には意見の衝突、感情的なぶつかり合いを経験しながも、互いに理解し合い、忍耐し合い、赦し合うことを続けた者だけが味わうことができる喜びなのです。ライフチャーチの働きにコミットしてくれた別の短期宣教師と、当時インターンとしてライフチャーチに仕えていた女性は共に働く中で結婚に導かれました。このお二人の関係も、互いの良い部分だけを見せ合う関わりだけでは生まれることはなかったことでしょう。
あなたもパウロと同じ喜びを体験したくありませんか?私たちが、傍観者としての生き方、逃げ道を用意する生き方をやめ、キリストの体である教会にコミットするときに、たとえそれが短い期間であろうが、パウロと同じ喜びを体験できるのです。
【今週の礼拝での聖句】
中心聖句:ヨハネ15章9節
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」
神様は人間をご自身と関わりあいながら生きて行くように創造されました。
ですから、神様の愛を知らない時に私たちは強い孤独感、不安を覚えます。
しかし、ほとんどの人はその不安の原因が神様の愛を知らない孤独感であることに気づいていません。
ですから・・・
①自分が孤独であることを認める
「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15:5)
②孤独の恐怖から救われる
神様の愛以外に孤独の恐怖からの救いの方法はない
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」(ヨハネ15: 5)
③キリストにつながる
「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)
【今週の祈り】
「主よ、あなたの愛を知らなければ、私は永遠の孤独の中にさまよい続ける存在だったことを覚えます。そして、私を孤独から救うことができるのはあなたの愛、あなたとの交わりだけであることを知りました。どうか、そのことを忘れずに、あなたにつながり続けるものとして下さい。」
ライフチャーチ牧師
大谷信道